インタビュー企画8:黒沢香

 第8回は東洋大学の黒沢香先生にインタビューをさせていただきました。黒沢先生は、これまで、パーソナリティについて多様な場面で発言してこられました。さまざまな場面でお話を伺っていて、パーソナリティ心理学のあるべき姿や役割について、個人差の研究が果たす役割について、深く考えておられると感じていました。今回は、このようなお時間を取っていただきましたので、いろいろなお話を伺いたいと思います。

 

■ 心理学の目標

―――まずは、黒沢先生が、心理学が目指すべき目標を、どのようにお考えかをお聞かせいただけますか?

 個人を理解するというか、人間を理解する。この人間を理解するのが、心理学の一番重要なところじゃないかな、と思います。そのためには、私が「内的プロセス」とよぶ、個人内プロセスを知ることが重要だと考えています。
 

■ 心理学の中でのパーソナリティ研究の重要さ

―――なるほど。では、その「人間を理解する」うえでの、個人差を研究することの意義についてのお考えを教えていただけませんか?

 個人差は、人間を考える際に基本的なものです。社会心理学はふつう、個人差を無視しようとしますが、「内的プロセス」がどういうものであるか知るには、個人差や文化差、集団差も重要になってきます。パーソナリティ心理学で何が重要なのかというと、やはり、パーソナリティと社会心理学と、二つが組み合わされて面白いものが分かってくるのではないかと思っているんです。
 つまり、個人差のほうばかり見ていてもしょうがないですし、社会的要因だけを見ていてもしょうがない。やはり重要なのは、いったいそこで何を求めようとしているか、何を知ろうとしているかです。
 最近の心理学でよく扱われているのは、非常に表面的な個人差です。もちろん表面的な個人差も重要ですが、そこだけにとどまらず、表面的な個人差の裏にある、もっと根本的な個人差を求めていけば、根本的な人間の内的プロセスの理解に行き着くのではないかと思っています。


■ 構成概念を検討することの重要性と難しさ

 そのときに、表にあらわれる行動と中にあるもの(内的プロセス)とを理論的に対応させる理論、構成概念が重要です。
 ただ、この構成概念というのは、そう簡単には分からないものです。尺度を作って構成概念妥当性がありましたって言うのは、とんでもない話です。いわゆる構成概念妥当性の検証方法は、ものすごく時間がかかって、なおかつ地道にやって、対象となる現象(表に出てくる)と構成概念との関係をはっきりさせ、はじめて構成概念妥当性があるかなって感じです。
 構成概念妥当性っていうものがきちんと理解できればパーソナリティ心理学ももっと分かるんじゃないかと思っています。
 科学はすべて、物理学も含め、構成概念です。そこを意識して、構成概念妥当性なんて簡単に言わないこと。たとえば、最近、ストレスが構成概念であることをしっかり意識することが重要だと考えています。つまり、ストレス源があって、ストレス反応があって、その間にあるのが、ストレスと呼ばれているだけで、ストレスそのものは存在しないかもしれない。だからストレスが実在するかのように研究するのは問題がある。私たちが見ることができるのは、ストレス源やストレス反応、そして、ある程度は、ストレスに対する脆弱性の個人差も測ることができるでしょう。一般の人は、このストレス源やストレス反応、そしてストレスをごちゃまぜにしてしまっているのが問題で、それと同じことを心理学者がやっていたんではしょうがない。ストレスという構成概念がどういう形で測れているのかを考えないといけないし、それを支えるのが、モデルというか理論ですので、それを精緻化しないといけないと思っています。


■ 社会の中の心理学の役割

―――その他にパーソナリティ心理学の進む道のようなものとしてお考えのものはありますか?

 一部の理論が、ある意味で社会に害毒となっているので、それをできるだけ少なくすることが重要だと思います。パーソナリティというものが、いかに社会の中で使われているかということを皆さんは、あまり意識していないようです。
 (私が専門としている)法と心理学のなかで、パーソナリティがどのように扱われているかは、かなり重要なわけですけどね。少年法の第一条には「性格」という言葉があるわけですよ(「この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする」少年法 第1章第1条)。性格が正しく理解されていなければ、逆に社会にとって有害なものになってしまう。


―――私個人としても、とても関心があるのですが、心理学者のパーソナリティの理論がどれだけ社会に流通しているのかについては、すこし悲観的に考えているのですが、いかがでしょうか?

 ひどいものが流通していると思います。単純に言えば、血液型性格判断みたいな、心理学者がやっているものでないものまで流れてしまっている。検証されていない不適切な理論が、社会の中で使われている場合もある。さらに、法と心理学の関係でいえば、刑事事件における被告人の行動の説明に、不適切に「性格」という概念が用いられ、(科学的に検証されたものではない)心理学っぽい説明が使われたりしており、それに心理学者が関わっている場合もある。訳の分からないものを説明するために、心理学っぽい概念が作り上げられてしまうのが問題です。


―――特に、性格と言う概念は、そこに落とし込んでしまうと、他の人が反論しにくいところがありますからね。

 そうそう。たとえば、性格検査や適性検査のような困ったものはない。就職試験にしても、そういうものがあることで偏見、差別や人事担当者の無能が隠されてしまう。つまり根拠に基づく査定をしないで、理由を問われれば「性格」という一言ですんでしまう。首をきるとき「性格」の問題を出せば誰も文句が言えないので、悪用されてしまう可能性がある。このような人事に心理学者が関わっている場合もあります。
 他方で、私たち心理学者が営々ときずいている理論はなかなか外に出て行かない。何を私たちがやらないといけないかというと、心理学の悪用をどのように食い止めるかということです。なぜかというと、そういうものが社会を悪くしていると私は思うわけです。それを食い止めるためには、私たちが社会に目を向けないといけないし、社会で使われている、ろくでもないパーソナリティ心理学を弾劾して、淘汰されていくようにしないといけない。それが私たちの役目だと思います。
 また、そういうことを地道にやっていれば、有用な理論が出てくるというのが私の楽天的な見方です。


―――研究者は、社会からの要請/イメージに流されて、求められるものを提供していくだけではなく、社会と対話を続けて、誤った「パーソナリティ」観が流布するのを市民が淘汰するための情報を発信し続けることが重要で、その中で、新たな研究の視点が芽生える可能性があると言うことですね。今日はどうもありがとうございました。


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