インタビュー企画12:大村政男

 第12回は日本大学文理学部名誉教授である大村政男先生にインタビューをさせていただきました。

―――心理学を志したきっかけ

 昭和20年3月、日本大学予科文科修了時に、どの学部に進むのかを決めなければならない。そこで法文学部文学科心理学専攻を選んだ。心理学を専攻していると将来技術将校(パイロットの適性検査などに従事する)になれる。
 日本大学法文学部文学科心理学専攻(現在の文理学部心理学科の前身)に進学(昭和20年4月)。しかし、5月に軍隊に召集される。戦車隊に入り相模湾に米軍が上陸したときに戦うことになる。8月終戦。大学に戻る。
 心理学研究室の主任教授は渡邊徹(わたなべとおる)先生。すごく魅力的な講義。人格心理学の講義はよかった。当時、日比谷公園の中にCIEの図書館が出来て、そこにアメリカの心理学の本がたくさんあった。G.W.AllportのPersonality A Psychological Interpretation(1937)をそこで見つけたときは感激した。私は渡邊先生の影響を受けてPersonalityを専攻することになった。先生の講筵を継いだことになるが・・・・・・。しかし、先生は広大で私などは模倣するのが精一杯である。

―――研究領域

 私はpersonalityの状況論はおかしいと思う。私はAllportの1937年の考え方、1961年の考え方は好きだ。渡邊先生から与えられたテーマはAdjustment(適応)。Adjustmentの中で重要なのはneurotic tendencyだ。Neuroticismの研究を長い間していたが、ある事件?があって血液型気質相関説に手をつけるようになった。
 昭和57年(1982年)の春、ある女子学生が血液型とpersonalityを卒論に―とやってきた。ほうぼうの先生(指導教授)にことわられ、私のところに来たわけ。私もそんなものはいやだとことわったが、彼女が私の後輩(私が旧制の日本大学付属第2中学校、彼女が日本大学第2高等学校)で、しかも彼女の父親が私の知人。それがわかったのでことわりきれず卒論を指導することになった。
 ただ、私は昭和20年(1945年)ごろ、古川竹二の血液型気質相関説に接し共感するところが大だったので、むかしのことが37年たって動き出したのかもしれない。血液型気質相関説は昭和の初期に古川竹二(東京女子高等師範学校教授、現:お茶の水女子大学)によって唱えられ、アメリカやドイツの学術雑誌にも発表されたが、反響はわかなかった。日本では一時ブームになったがさまざまな矛盾が指摘され社会から消えてしまった。ところが古川の没後、約30年後、古川の血液型気質相関説は放送作家能見正比古によって面白おかしく脚色され、マスコミの波に乗って大ブームになった。「血液型」が日本の大衆文化になってしまったので学者は避けるようになった。あんなものを―という風潮はいまでもあるね。
 しかし、personalityのベースはなんといっても個体内におけるpsychophysical systemなのだ。血液型は血液の型ではなく体質型なのだ。Psychophysical systemの中に入るものだ。能見やその他のふざけた好事家の所説はシャットアウトし、まじめに考察しなければならない―という気持ちになっている。現在はね。
 なお、6年ぐらい前から渡邊徹先生の「旧新人国記研究」を記念して「郷土性(現代的にいえば県民性)」の研究をしている。私の研究(血液型気質相関説の研究・郷土性の研究)は、すべて浮谷秀一氏、藤田主一氏との共同研究である。

―――研究の魅力

 血液型気質相関説の研究にしろ、郷土性の研究にしろ、わからないことだらけだ。その「わからない」ところが魅力なのだ。

―――今後の心理学に対しての期待

 心理学、特にパーソナリティの心理学(社会心理学、犯罪心理学、臨床心理学などを含んだ)はマスメディアに利用されることが多い。大衆文化と慎重に接触すべきである。

―――若い研究者に向けて一言

 統計法、特に推計学的方法の論理と使用に注意すること。Computer Assisted Psychologyに陥らないよう注意することが大切だ。現代の心理学の研究の多くは、Erforschung ohne Seele ではないだろうか。
         
―――インタビューの内容は、メールに対してご返答いただきました。大村先生、お忙しい中、貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。
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