インタビュー企画17:中澤清

 第17回は関西学院大学文学部に所属していらっしゃいます中澤清先生にインタビューをさせていただきました。先生が学部生や大学院生のころのエピソード、そして、現在の研究の面白さなどをお聞きしています。

―― 先生が心理学に興味を持ったきっかけをお聞かせください。

 私は高校生の時医学部を目指しましたが果たせず、これが最後の浪人生活という時に心理学という学問があることを知り、臨床心理学を学ぶ手があることに気がつきました。その頃は今のように受験情報が多くなかったので、なにも分からないまま関西学院の心理学科に入学しました。しかし入学してから心理学科には臨床心理学がご専門の先生がいないことが分かりました。幸いなことに教育学科に病院心理臨床を教えてらっしゃる先生がおられたので、そこでロールシャッハテストなどの投影法検査の勉強をすることができました。  

―――最初は医師志望だったのですね。学部ではどのような卒論を書かれたのでしょうか。

 卒論のテーマにしたのが共感性(empathy)でした。英和辞典には感情移入という訳しか出ていなかった時代でしたが、ロジャース派の研究者達が共感的理解という言葉を使っていましたので、社会福祉の分野では当たり前の概念だったのです。しかし心理学的には共感という心理過程はあるけれど、共感能力あるいは共感性と呼ばれるような訳のわからない特性はないという雰囲気がありました。そこで共感性という言葉を使わずにエンパシーと呼んで、他の研究者が手をつけていなかった分野に向けての研究生活がスタートしました。

―――先生の研究のスタートは共感性がスタートだったのですね。その後、どのような研究をされていらっしゃったのでしょうか。

 共感性についての研究を重ねる内に、共感性そのものではなく、いつの間にか共感性が動機となっている向社会的行動に研究の方向が変わっていきました。さらに向社会的行動は共感性より規範意識の影響を受けるという結論に至り、迷宮に迷い込んだことに気がつきました。
 それからは軌道修正するべく共感性から離れてストレスや世代間文化をテーマに研究していました。今は人格障害に落ち着いていますが、人格障害そのものではなく、人格障害スペクトラム、つまりパーソナリティの偏りに関心があります。人は多かれ少なかれ人格障害に至る素質(気質、遺伝的潜在性)を持っていますが、経験を重ねる内に経験の産物としてのパーソナリティに守られるようになります。人は社会との摩擦によって経験(パーソナリティ)がうまく機能しなくなると補完的に素の自分、つまり気質が現れてくるのです。家庭や会社などで摩擦をおこした時に、素の自分が現れ、人格障害として問題行動に走る人と、パーソナリティの中に摩擦を回避する術を持つがゆえに問題行動を起こさない人がいるのではないかと思っています。

―――なるほど。最後に現在、先生が取り組まれていらっしゃいます研究の面白さをパーソナリティという側面からお伝えいただけませんでしょうか

  私は若い頃角のある石が坂道を転がる内に角が取れてまん丸な人になっていくと思っていましたが、現実にはお年寄りを見ていて、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりして、ついには転がらなくなる人の方が多いように思うようになりました。幾多の経験を重ね、人間ができ、セルフコントロールが可能なはずなのに、最近増加をしているのは切れる老人、暴走する老人です。ブチ切れる老人を生み出しているものは何でしょう。私自身若い頃はそんなことはなかったのに、年をとるにつれ猜疑心が強くなり、小言が増え、人嫌いになっている事実に気づきました。人は成長するにつれ、気質はパーソナリティに覆い隠されるのですが、老齢になるにつれ人間関係が疎遠になり、それに伴いコミュニケーション能力が乏しくなり、世代間での摩擦によってパーソナリティは社会・文化的機能不全に陥っていきます。そしてパーソナリティに覆われて琢磨されなかった未熟な気質、つまり素の自分が顔を出すようになります。生まれつきの未熟な気質がパーソナリティに代わって社会と対決せざるをえなくなった時に暴走老人になるのではないかと考えています。暴走老人にならずとも、社会から引きこもるお一人様老人になったり、ゴミ屋敷の住人になったりすることもあるでしょう。前期高齢者入りを目前にし、このように偏屈化する人間のいびつな性質を研究するのもおもしろいなと思っています。

―――ありがとうございます。中澤先生にはメールでインタビューに御返答いただきました。お忙しい中、お時間を割いていただきましたことにこの場を借りまして厚く御礼申し上げます。

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