ミニ特集*研究者倫理*
倫理について考えること
研究倫理ガイドライン検討特別小委員会委員長 安藤寿康(慶應義塾大学)

 昨年度末に日本発達心理学会大会で開いたラウンドテーブル「心理学界は倫理問題とどう向き合うか」(2002年3月27日、早稲田大学)では、最終的に会場に残ったのは発表者と委員、つまり関係者だけだった。その前の日本性格心理学会大会でのシンポ「研究者と協力者のはざま」(2001年9月23日、東洋大学)ではそれよりはいくらかましだったが、それでもやはり関係者の数の方が多かった。先日会員のお手元にお届けした倫理アンケートは、全学会員600余人に配布したが、その返信数は80通ほどだった。ご返信いただいたみなさまには、この場を借りて心よりお礼を申し上げる次第である。

 それにしても倫理の問題はどうしてこうも人気がないのだろう。このニュースレターだって、倫理がテーマじゃたぶん誰も読んでくれないだろう。これを読んでくれているあなたはきっと奇特な人、あるいはのっぴきならない事情のある人かも知れない。そもそも我と我が身を振り返って、自分が「研究倫理ガイドライン検討特別小委員会」(なんと長ったらしい名前!) の委員長や委員でなかったら、学会で他に面白そうなセッションや見ておいた方がよさそうなポスターがあるなかで、わざわざ倫理のラウンドやシンポなどに足を向けないだろうし、アンケートもいつか暇なときにやろうと思ってどこかにやってしまっただろう。そして誰もが経験しているように、そんな「暇」など永久に訪れない。

 個人的な話で恐縮だが、私がこの委員会の委員長を引き受けたのは、もちろん常任理事として何か役職を引き受けねばならないという外在的理由もなかったわけではないが、私の専門である行動遺伝学の研究を進めるにあたって、かつての優生学の轍を踏むことなく、健全な研究活動を進めるためにはどうしたらよいかについての明確な指針を得たかったからである。というと聞こえはいいが、本心をいえば、人から後ろ指を指されないためにはどうすればいいのか、つまり近い将来、悪者扱いされることが目に見えているので、そうされた時に備えてちゃんとした予防策とそのための理論武装をして我が身を守りたかったのである。そういう自分をわれながらいやらしいと思うが、逆にそのような「利己的」理由がなければ、自分もシンポに参加しない、アンケートに答えない無言の大衆の側に回っていただろう。

 考えてみれば、いつごろから、なぜ、こんなにもリンリ、リンリと秋の虫の声のように騒がしいご時世になったのだろう。そしていまのこの「秋の風情」が、ほんとうに倫理について考察するにふさわしい季節の訪れを意味するのだろうか。そもそも倫理とは何かについて、われわれは本当に考えたことなどあるのだろうか。

 倫理を考えるというのは、自らどこに罪の意識があるからである、というと他の倫理を考えている方々に失礼だろうか。だがつくづく心理学者の研究の営みというのは罪なものだと思う。医者の場合と違って、病気を治してもらいたい患者がいて、その人たちのために調べる、治療するというようなところから人間関係が始まるわけではない。研究したいのは研究者の勝手な都合であり、その研究者の都合というのはたいがい学会の都合、つまりその研究領域の中での歴史的必然性から生ずるものである。だがいかなる理由にせよ、人が他人の人の心を知りたい、そのためにアンケートや調査や実験をするなどというのは、なんともデリカシーに欠ける人迷惑な行為である。それがうすうすわかっているから、多くの研究者は倫理のことを考えるのを敬遠するのではないか。叩けばみな埃の出る体だからだ。君子危うきに近寄らず。

 やや偽悪がすぎたかも知れないが、こうした状況だからこそ、少なくとも自らの研究活動を正当化する根拠と、その正当性を納得してもらう手続きについては、いちど公に議論をする必要があることは事実だろう。なぜならそれは意外と難しいからだ。倫理問題というと、ともすればインフォームド・コンセントの手続きをどうするかといったような表面的な手続き論に終始しがちである。とりわけ世間の側が騒がしいと、それに手っ取り早く対処するために当面の手続き作り、制度作りに奔走しがちになる。だが大事なのはなぜそのような手続きが必要かという、論理的ならびに心理的な根拠づけであろう。さもないとただいたずらに自らを縛るだけのことになる。ここで論理的根拠づけとは、どのようなロジックで研究が正当化されるかを明らかにすることであり、心理的根拠づけとは本当にその手続きで協力者、研究者は心から納得しているのかを示すことである。不思議なことにこれまで作られた倫理規定やガイドブックには、そうした根拠づけが希薄であったように思われる。法的根拠があるわけでもない中で、常識と慣習に依存する倫理を正当化するという作業は難しい。われわれが委員会活動として行ったのは、その根拠探しのためのワークショップであり、アンケート調査なのである。

 当学会に「研究倫理ガイドライン検討特別小委員会」が立ち上がって、はや1年5ヶ月がたった。名前の長さとはうらはらに、この委員会の命はあまりにも短く、活動期間2年間の時限つき、その間に何らかの成果を出さねばならない。設立の当初は文字通り、学会としての「ガイドライン」を作ることも念頭に置いての活動を開始したが、その方針は軌道修正され、研究活動の中で直面する倫理問題に悩む研究者のありのままの姿を問題として提起するような書物の出版を目指すことにした。というのも、すでに体系的な綱領やガイドブックとして優れたものが刊行されており、これらに屋上屋を重ねる仕事をすることに、委員一同、意欲がぜんぜんわかなかったからだ。その一方で、委員会やシンポジウムの席で話をしていると、「私はこんなことで悩んでいる」「こんな問題に出くわしてしまったんだけど、あの解決策でよかったんだろうか」「こんなことをしてる奴がいるが、ひどいんじゃないか」など、日々の悩みをみんな持っていて、しかも考え方が人によって微妙に異なることがわかってきたからである。実際、今回のアンケートを見てみると、何を倫理的に適切と考えるかにはかなり大きなばらつきがあることがわかる。このような状況で、いくら原理原則としてのガイドラインや倫理綱領が整ったとしても、それだけでは問題は解決しないだろうし、おそらく絶対にこれが正しい手続きなどという正解など存在するものでもないのだろう。だからこそ、どのような具体的な問題に研究者は直面し対応しているか、またどれだけの意見の散らばりがあるのかについての基礎データを入手し、それをもとに議論を呼びかけたいのである。

 来る10月に九州ルーテル学院大学で開催される大会会場でも、あらためてアンケートを配布し、より幅広い意見を収集する予定である。どうか意図をご理解いただき、ご協力をお願いしたい。


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