ミニ特集*研究者倫理*
研究と倫理に関する諸問題:兎角に人の世は住みにくい?
木島伸彦(慶應義塾大学)

 「智に働けば角が立つ。情に竿されば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」(夏目漱石『草枕』)

 研究と倫理は時にぶつかりあい、双方の理念、理想が矛盾に陥ってしまうことがあります。私のように、パーソナリティと遺伝子との関連性についての研究をしていると、「そもそも倫理的にそのような研究はすべきではない」と指摘されることもしばしばです。確かに、遺伝子を扱う際には様々な配慮が必要でしょう。でも、性格のありようを真剣に考えれば考えるほど、環境や学習や教育や状況だけでは不十分に思えてしまうのです。そこで、遺伝子を含めて考えると、「ちょっと待った」の声がかかる。性格と遺伝子を研究しようとすると、兎にも角にもやりにくい。

 筆者の愚痴を言っていても始まらないので、恥ずかしながら、筆者自身が日ごろ行っている研究のあり方の一端をここで紹介し、筆者の悩みをお伝えしたいと思います。そうすることで、理想論に陥りやすい倫理問題を具体的に検討するきっかけになると思われます。まずは、よく言われるインフォームド・コンセントについて、具体例を示し、悩みを書いてみます。

 以下のような文言を、学生を対象とした調査の質問紙の表紙に載せました。
『私たちは○○のため,○○の調査を行っています。今回の調査では、みなさんの○○についてお伺いします。お忙しいところたいへん恐縮ですが,ご協力お願いいたします。
この調査はあなたの自由意志で参加していただくものです。回答していただいた結果は,調査研究の目的にだけ使用し,個人のデータが公表されるようなことは一切ありません。調査結果は、全体として統計分析にかけられます。
以上を踏まえたうえで,この調査に協力することを同意するか、○をつけてください。「しない」と回答されても授業の成績の上で、不利益を被ることはありません。』

 この文言自体は、この研究の共同研究者の意見を反映して作られたものですが、本当にこれでいいのでしょうか?

 まず、授業の中で質問紙調査を行う場合、いくら調査実施者が、「このアンケートは強制ではないのですよ」と説明しても、ほぼ100%の方が協力してくれます。また実際には、口頭で「是非協力して下さい」とも同時にお願いしています。インフォームド・コンセントは、デユー・プロセスの観点からもとても大切と思われるので、少なくとも「参加する、しないは参加者の自由であり」、「途中での辞退も自由である」ということは伝えるべきなのでしょう。しかし、これを強調しすぎると調査研究自体が成り立たないこともあります。授業内ですと、集団圧力が働いて、本当は参加したくなくても参加してしまう(その結果、いい加減な回答をしてしまう)、ということもあり得ます。さて、それでは、どうしたらいいのでしょう?

 今回は、学生を対象とした調査を行う場合のインフォームド・コンセントについて書いてみましたが、他にも配慮すべき倫理的問題は沢山あります。プライバシーの保護(例えば、学籍番号記入の是非)、研究内容の是非、研究に参加したことによる参加者の気分の悪化などに対する対応などなど。しかも、子どもや障碍のある人などを対象とする場合、さらには遺伝子を研究対象に含める場合などには更なる倫理的配慮が求められるでしょう。こうしたことは事例によってそれぞれ事情が異なると思われます。

 我々「研究倫理ガイドライン検討特別小委員会」では、こうした相対的、流動的な倫理問題を事例ごとに検討し、より具体的に研究する際に役立つ『事例に学ぶ心理学者のための研究者倫理』(仮題)という本を企画して活動しています。この本が、研究参加者の権利を守ることに役立ち、心理学研究者の「住みにくさ」を少しでも解消してくれることを、筆者自身期待しているところです。


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