ミニ特集*研究者倫理*
倫理問題における学生の実情
小堀 修(東京大学大学院)

#1 授業を利用し、学生に質問紙調査を実施した。感想欄を眺めていると、そこにひとこと。
  「第○問の質問項目を読んで、気分が暗くなった。」
 標準化されている尺度を使ったはずなのに。「この調査は強制ではありません。協力する意思のある方のみ回答してください」と、最初に書いたはずなのに。
とりあえず、全体へのフィードバックで、「気分が悪くなった方、非常に申し訳ありませんでした。いまだに気分の悪い方は、学生相談所までお越しください」と書いておいた。
 でも、これでいいのかなあ? なにか引っかかるよなあ…

#2 学生に実験に協力してもらった。コンセントフォームもとったし、デブリーフィングもした。これで大丈夫だろうと思ったそのとき、ひとこと。
  「どうして謝礼がお茶菓子なんですか? 他の心理学科の実験に協力したときは、図書券をもらいましたけど…」
 と指摘される。この人に図書券をあげればいいのかな? でも、1人にあげてしまうと、いままでやってもらった全員にあげなければならない。でも、そんなお金ないし。
 とりあえず、「非常に申し訳ありませんが、お金がないのです。」とひたすら謝った。次からは、「謝礼はお茶菓子だけです」と書いておこう。でも、他の学科で図書券を渡しているのなら、自分の実験には人が集まらなくなっちゃうぞ。

 これらの事例は、私たち学生がしばしば遭遇する事例だと思います。研究を始めたばかりのころは、どこまで倫理的な配慮をすればいいのか戸惑い、研究が滞ってしまうことも少なくありません。研究倫理に関する本を読んでも、抽象的なことばかりが書いてあり、具体的に何をどこまですればよいのか明らかになりません。まして、倫理的な問題を扱った本があることすら知らずに、卒業研究をしていることもあると思います(私もそうでした)。

 倫理的な配慮におけるコンセンサスが、研究室内でとれている場合もあります。同じような研究を再生産することが多ければ、倫理的な配慮の手続きも明確になっているでしょう。しかし、「先輩と同じ手続きをとったから大丈夫」と思ってジャーナルに投稿したところ、「倫理的な配慮が不十分」と指摘され、リジェクトされる可能性もあります。先輩の研究がアクセプトされていたとしても、倫理的な基準は、社会を参照して常に変化していくものですから、「研究室内でコンセンサスがとれている」ことが十分とは言えなくなってしまうのです。

 それでは私たち学生は、どのように倫理的問題を配慮すればよいのでしょうか。研究はバラエティーに富むものですから、すべてのパターンに明確な基準を設けることは不可能ですし、そのような"倫理本"を作ることもできません。しかし、倫理的問題の考え方、議論の仕方を学ぶことはできると思います。倫理的な配慮について、研究室内で定期的に議論し、「本研究は、〜という観点から倫理的問題を検討し、以下のことを参加者への配慮として実施した。これらの方法には、〜という限界も残されている」という共通認識を見出せば、学生が安心して研究できるだけでなく、投稿した際、査読者とのやり取りも自信を持ってできるようになるでしょう。

 研究倫理について学ぶことは、研究の意義を考えることでもあります。卒業論文の段階では、ほとんど自分の興味・関心から研究を始めます。しかし、修士論文、博士論文ともなると、自分の研究が社会に何をもたらすのか、どのような対象に、どのようなベネフィットがあるのかを考えて研究するようになります。研究倫理を考えることは、調査や実験に参加する方のことを配慮するだけでなく、自分の研究と社会との接点を見つけ、積極的に社会と関わっていくヒントを見出す機会でもあります。このたび企画された本が、多くの学生に役立つものになることを祈っています。


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