研究余滴   信頼関係の個人差を生み出す要因は?

酒井 厚(山梨大学教育人間学部)

 対人間の信頼関係については、これまでたくさんの研究者が多くの理論から説明しようと試みてきました。私が研究テーマとしてきたボウルビィの愛着理論もそのひとつと言えるでしょう。愛着理論では、親密な他者との関係を重視し、生涯にわたるその関係性の発達を、乳児期の母子間に見られるいくつかの愛着タイプ(安定型・アンビバレント型・拒否型・無秩序型)から説明しようとしてきました。しかし、人との信頼関係は、乳児期の母子関係がそのまま投影されるわけではなく、また親密な他者との関係にばかり生まれるわけではありません。そこで、愛着理論を発展させ、より広範囲な対人間の信頼関係を発達的に検討できる研究を心がけるようになりました。対人間の信頼関係をいくつかの固定的なタイプではなく連続変量で測定でき、様々な関係性に対応可能な尺度を作成するのに、バーソロミューというカナダの愛着研究者の考え方が非常に参考になりました。彼女は、愛着関係は「自分は相手にとって信頼される価値のある存在か」という自己価値感(以降、Self)と「相手は自分にとって信頼する価値のある存在か」という他者(相手)価値感(以降、Other)の2つの軸から評価されると主張しました。実は、この2つの軸はボウルビィの主張したものですが、エリクソンの基本的信頼に遡ることができるものであり、対人間の信頼関係を扱うのに都合の良いものであったのです。現在では、この二軸理論に基づき、SelfとOtherの2つの下位尺度からなる信頼関係評価尺度(親版・就学児版・青年期版)を作成し、SelfとOtherそれぞれの得点を用いることで、信頼関係の個人差の幅を比較的反映した研究が可能となったと考えています。

 それでは、信頼関係の個人差を生み出すのはいったいどのような要因なのでしょうか。この問いは、発達的な興味によるものです。従来では、信頼関係の個人差を生み出す要因として親の養育態度などの環境的要因が注目されてきましたが、最近では、人間行動遺伝学などの注目により、遺伝子を含む個体側の要因も考慮すべきことがいわれてきています。ヒトゲノム時代を迎え、人間のあらゆる営みを遺伝子レベルで考えることが不思議なことではなくなってきている昨今、私も双生児のきょうだいを対象として、子どもが母親に抱く信頼感に遺伝要因がどのように関わるのかについて検討する機会を得ました。その結果、小学生が母親に抱く信頼感へは、環境要因の影響が強く遺伝要因の影響率はほとんど無視できるほどであったのに、中学生では、遺伝要因の影響率が50%を超えるという違いが見られたのです。人の信頼感という意識に遺伝が関わるという議論は慎重になるべきでしょう。それでもやはり、それまでは母親からの養育などがやさしいと認知されるような環境要因が、双生児のきょうだいに共通して母親への信頼感を高くする影響力があったのに、ある時期を境に、そのような親側の要因を超えて、きょうだいそれぞれが持つ個体側の要因が、母親への信頼感の個人差に影響する大きな要因となると考えられるのです。この結果から、人間の信頼感を環境要因と個体側要因の両者から検討する必要を感じずにはおれません。

 相手を信頼しているかどうかが問われる状況は実に多岐に渡ります。患者にとっての医療関係者との関係、サッカーやオーケストラのプレーヤー同士の関係、ある企業が他の企業と提携する際の関係などなど。これらの関係はみな即席に作られるものであり、例えばサッカーW杯の代表選手間や企業間などはその直前までライバルであったものです。にもかかわらず、そこに信頼感が形成されるかどうかは、治療の成否からW杯の勝敗にまで関わってきます。こうした即席の信頼関係がどのように作られるかというテーマも、実はとても大きなものではないかと思っています。

このように、私は、人生で出会う広範囲な対人関係での様々な信頼について、その形成要因、発達過程、社会的な機能を検討し、「人を信じるのはなぜか」という途方もない大きなテーマに少しでも近づきたいと考えております。


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