研究余滴
研究領域が自己認知に及ぼす影響について
高木友子(湘北短期大学)

 三十路の既婚者となった今はともかく、二十代独身の頃、友人や親戚たちは子どもたちに私を「おばちゃん」と呼ばせまいと異様に気を砕いていた。

 二十歳そこそこの学部生の頃から、「おばちゃんね〜」という自称で子どもたちに実験の協力を仰いでいた身にしてみれば、笑止である。「おねえちゃんだよ。」などと呼び方にこだわって、子どもたちとぎくしゃくするよりも、「おばちゃん」だろうがなんだろうが、子どもたちとラポールがとれ、実験に興味を示してもらえる方がいいのである。実際、中高生ならいざ知らず、子どもたちから見れば二十歳を超えた人間なぞ、どう見ても母親の世代に近い(もしくは、ずばり同世代)のである。

 しかし、三十になる妹は今だ親戚の子どもたちに「おばちゃん」と呼ばせまいとしている。前任校の同僚も、彼の方が私より4つ年上であったにもかかわらず、学生の実習園を初めて巡回したとき、子どもたちに「おじさん、誰のお父さん?」と言われたと大変ショックを受けて帰ってきた。三十代も半ばになれば、幼稚園児の父親には充分なり得るだろうが、独身で見た目も若く、何よりも老人心理を専門にする彼は、それまで老人に囲まれ「おにいちゃん」や「若い人」とかわいがられてきたのだそうで、そのギャップは大変なものだったらしい。研究が人を作るとはこういうことか、と思った。

 そう私が齢二十歳にして抵抗なく「おばちゃん」と名乗れるようになったのは、研究のためであって、小学生の頃から教員に間違われる程老けた外見への適応過程ではけっしてない、と信じたい。


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