【巻頭言】

日本パーソナリティ心理学会への期待

堀毛一也(岩手大学人文社会科学部)kekehori@iwate-u.ac.jp


 「日本性格心理学会」が「日本パーソナリティ心理学会」に名称変更されました。「おめでとうございます」というのも変ですが、学会のより一層の活性化につながる試みとして、謹んで賛意を表させていただきます。

 日本の「性格」研究の動向が、正直いって活発とはいえない状況にあるということは、この領域に関心のある先生方には、すでに共有された認識のように思います。「パーソナリティ研究(旧:性格心理学研究)」は、ここ数年背表紙の印刷が危ぶまれるような状況(!?)で、学会の「顔」としては心許ない限りです。一定の水準に達してる論文が少ないということだと思いますが、編集にあたられている先生方のご苦労はいかばかりかと拝察いたします。大会発表も尺度研究が圧倒的な数を占めており、その意味では、失礼な言い方になるかと思いますが、「性格」のごく一部を切り取っただけの研究が横行しているように思います。

 一方で、海外に眼を転じてみると、私自身の限られた関心の中でも、ここ2−3年の間に書かれた新しい視点を有する教科書の出版(たとえばCaprara & Cerbone,2000; Larsen & Buss,2002)やAdvance物の発行(たとえばHampson,2000; Cervone & Mischel, 2002)が続いていますし、定番の教科書も順調に版を重ねているようです。もちろんJournalに掲載される論文の数も相変わらず膨大で、とてもフォローしきれない!(これは私だけかもしれませんが)状態が続いています。そうした中には、縦断的な研究をはじめ、文脈・動態的な手法や質的な手法を用いた研究など、ユニークな発想が満ちあふれているように思います。海外礼賛をするつもりはありませんが、自己批判も含め、日本の性格研究には、研究としての「面白さ」が欠けているというのが最近の実感です。

 なぜこうした違いが生じているのか、理由はいろいろとあると思います。関連領域(臨床心理、発達心理、社会心理、認知科学など)への注目度の高さ、臨床心理の一分野としてのカリキュラム的扱いの強まり、性格心理を主専門とする指導者や講座の減少、雑事による研究者としての疲弊、などなど…。個人的には、「心理学」に関する専門教育が、自由で豊かな発想を奪う方向に傾きつつあるような危惧も感じております。

 そうした意味で、杉山理事長が新雑誌の冒頭でお書きになっておられる、近接領域との交流、複合的で多様な個人差研究の結集、気質と社会的文脈を統合する視点の活性化、質的研究など新たな研究法の探求をめざすという学会や研究誌の新たな方向性は、より広範な「パーソナリティ」研究領域や研究手法の構築に向け、今後の発展におおいに期待を抱かせるご方針だと思います。その一方で、ここでは会員、特に若い方にとって魅力的な学会活動を展開していただくことの重要性も指摘させていただきたいと思います。たとえば他の学会では、若手研究者の国際学会派遣援助や英語論文の作成補助なども検討・実行されているようです。大会・雑誌での奨励賞の新設・増設や、海外著名研究者の大会招聘、最新の教科書の翻訳企画・参加斡旋なども論議の対象になるように思います。


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