ミニ特集*自我・自己の探求

ヤーヌスの双面神――自我の光と影

●ソンディ心理学の立場から●

松原由枝(川村学園女子大学文学部)


ヤーヌス(Janus)神をご存知だろうか。ギリシャ神話に登場するこの神は二つの顔を持つ双面神である。以下は『ローマは一日にして成らず』(塩野七生、2002、新潮社)のPP.62-63からの引用である。「…ヌマは、門や入口の守り神でもある、ヤヌスに捧げた神殿を建てさせた。ヤヌス神は、入口と出口という意味か、反対方向に向いた二つの頭をもつ像であらわされる。ヌマは、完成したヤヌス神殿の表と裏の出入口を人々に示し、この出入口の扉は戦時には開けられ、平和の時期には閉められると言った。…」

長い前置きはこのあたりにして、私は長年ソンディ心理学の研究を続けている。ソンディとは投影法のソンディ・テスト(Szondi-Test)の考案者リポット(またはレオポルト)・ソンディ(Lipot{Leopold} Szondi、1893-1986)のことである。彼は自らの理論を立証するためテストを考案し、93歳の天寿を全うするまで研究に従事した。この点テスト考案後に自らの理論の展開を待たずして逝ったロールシャッハとは対照的である。ソンディ・テストの背景はフロイトの精神分析学とユングの分析的心理学を架橋した運命心理学や衝動病理学である。テストは性衝動(情愛・愛情)、発作衝動(感情)、自我衝動(その人の自我の有様)、接触衝動(周囲との関係)の4領域の絡み合いから人間の無意識を診断するものである。ソンディは4衝動領域中でも「自我衝動」を最重要視している。ここでソンディの理論やテストについて詳しく触れるつもりはないが、ソンディ理論の中で「自我」は言わば最高裁判所の役割を担っている。

我々は様々な衝動、欲求、欲望に取り巻かれて生きている。しかし多くの人は道を踏み外さずになんとか一日を終えている。自我は遺伝の影響と環境の鍛錬を受けその人独特のスタイルで育っていく。ところが未成熟な自我が周囲から抗しがたい強烈な刺激に曝された時、どのようなことが生じるのだろうか。審判を担う最高裁が無人であったり裁判官が無能であったり、調書の不備があれば正しい審判は行えない。健全な自我はその時と場に応じ衝動や欲求を制圧・抑圧したり、欲望の正しい成就に進軍命令を発するのである。

私は今まで「人を殺すな、弱く小さなものを虐待してはならない、人のものを盗むな」と改めて教えられたことはない。それらは私の中に自然に根づいていたように感じる。しかし今の社会では「なぜ人を殺してはいけないのか、なぜ弱く小さなものを…、人のものを盗んでは…」等、学校での教育の必要性が論議されることがある。もはや自我という最高裁の法廷は無人で調書もないのか。光の中の自我はその正義と人間の崇高さを失い影に潜んでいた衝動、欲望が表舞台に君臨しようとしている。ヤーヌス神が守るべき人の心の戸口は今や開け放たれる危機に直面しているのだろうか?


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