ミニ特集 現場からみたパーソナリティTI
教育現場からみたパーソナリティ
鹿毛雅治(慶應義塾大学)


 中学の先生たちはたった二つの枠組みによって生徒を把握するのだという。一つは「勉強ができる―できない」、もう一つは「生活態度が良い―悪い」である。したがって、生徒たちはこれら二つの組み合わせによって「勉強ができて生活態度も良い優等生」「成績は今一歩であるが、生活態度の良い手のかからない生徒」「勉強はできるが、生活態度の悪い生意気な生徒」「成績も生活態度も悪い要注意な生徒」の4カテゴリーに分類されることになる。
 実際の生徒理解がそんなに単純なものであるはずないのだが、この話は笑えない冗談として通用する。教師は暗黙のうちに子どもを分類する基準を持っており、タイプ別に子ども理解をする傾向があるらしいのだ。
 「人か状況か論争」を持ち出すまでもなく、ある行為の原因を安定的な内的要因にのみ帰属させてその人物を理解することには限界がある。むしろ、文脈と個性の相互作用の場として、学校や学級、授業場面をとらえるべきだと私は思っている。そのためには、まず子ども一人ひとりに注目し、具体的な場面での彼らの姿について注意深く意味づけていこうとする態度が教育関係者に求められることになる。
 教育現場でここ数年、特に問題になっているのが「意欲の評価」である。意欲を一種の安定的な特性と捉えて、それを評定しようとする評価アプローチは極めてナンセンスだと私は思っている。意欲とはそれこそ文脈と個性の相互作用として、その場に創発される心理現象なのであって、そのような意欲を個人に内在する問題としてのみ扱って、それをAとかBとか評定することにほとんど意味はない。
 以上のような子ども理解の仕方が蔓延する原因の一端は、われわれ心理学者にある。子どもに対する一方的なレッテル貼りに加担する研究がこれまで多すぎたのではないだろうか。私が教育の場に関わって学んだことは、むしろ、複雑なものを複雑なこととして大切にしながら、具体的なひと、もの、ことの内側からその本質を理解しようとする態度である。研究者には、一般論で語ろうと焦るあまり、過度に単純化、抽象化してしまうという習性がある。これによって複雑な現象が確かにわかりやすくはなるが、実のところ、関係者を思考停止にして、彼らの目を濁らせてしまうことにもなりかねない。むしろ研究者には、現場の複雑さを読み解くプロセスを通して、心理学の理論を問い直しながら再創造していくことこそが求められているように思う。迂遠な方法ではあるが、研究者が現場から真摯に学んでいく営みこそが心理学を豊かにしていくのではないだろうか。


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