インタビュー企画5:辻平治郎(前半)

 第五回は,甲南女子大学の辻平治郎先生にインタビューしたいと思います。心理学との出会いから,辻先生が作成されたFFPQを中心にビッグファイブ研究について,色々とお伺いしたいと思います。

■ 略歴


―――はじめに,心理学を志されたきっかけにつきまして,お話しいただけますでしょうか。

 大学に入る前から漠然とですけれども,心理学に関心がありました。出身は京大の文学部ですけども,専攻は3回生で決まるわけですよ。ですから,それまでの間まだ自由にどこでも行ける可能性があったわけで,私も多少は文学にも関心があって,文学方面に行くか心理学か,ということを考えていました。ただ,文学的なセンスとか感覚の非常に優れた人材がいるんですよね,たくさん。そういう友達をみると自分はあんまり文学ではないなあという気がしまして,割合科学的な考え方というのが自分にも合うような気がしたので,そしたら心理学をやってみようかという,もう本当にその程度の軽い気持ちでやり始めましたね。


―――卒業論文では,どのようなご研究をされていたのでしょうか。

 私はその頃,いわゆる探索行動というものに関心がありまして,それをやりたいと言って,本吉良治という先生の所へ行ったら,「それならサルをやりなさい。」ということを言われました(笑)。それで,ただすぐに探索行動をやらせてもらうのではなくて,とりあえず学習実験をやるということで,ハーローなんかがやっているラーニングセットという実験をやらされました。その当時はまだ霊長類研究所がない時代でして,犬山にモンキーセンターというのがありまして,そこへ行って実験をしました。4年生の6月位からでしたかね,行って,秋も結構深まったときに帰ってきたような。その間向こうに行きっぱなしで,授業もろくに受けずに,そういう状況でしたね。


―――本当に実験をするために,犬山の方に籠りっきりになってしまって,なかなか京都の方に戻ってこられないという,ある意味逆にこちらが実験されているような状況になられたということでしょうか。

 そうですね。モンキーセンターに行ってちょうど河合雅雄先生という方がおられまして,サル学では権威者の方ですけど。行ったら「君,サルの観察をしなさい」って言われました。それでその先生と一緒にサルを観たのですけれども,私自身は動物園でサルを観た経験くらいしかありませんから,観ろと言われても何を観たらよいのかわからないんですよね。しばらくして河合先生に「何が観えた?」というふうに聞かれて,「いや,何を答えたらよいのか僕よくわかりません。」というような返事をしていたら,「そら君あのサル観てごらん。尻尾立てているでしょう?こっちのサルは尻尾おろしているでしょう?」と。それで,それが何を意味しているのかということから教えていただいて,あーなるほど,尻尾を立てているサルが優位なサルで,おろしているサルが劣位なサルなんだなということを学びました。けれども,今度はそれを観ていると他のことが観えなくなってしまうのですよね(笑)。


―――今のお話だけお伺いしていますと,何か動物園の飼育係になるための訓練を受けているようなお話かなあと,全然知らない人が聞いたら思うかもしれませんね。

 そうですね(笑)。でもやっぱり,そういうことを通じて観察ということの重要性を教えられましたね。まあ,実験自体は,私がやった実験は今から考えれば明らかに古いし,それからやっぱり操作の妥当性の問題があったと思います。これについてはあまりお話することはないと思いますけどね。


―――その後大学院へ入られて,修士論文ではどのようなご研究をされていたのでしょうか。

 実はなかなか探索行動の研究をやらせてもらえなくて,マスターの2回生のときに,「もうそしたら僕は勝手にやります。」とか言って(笑),先生の指導も一切受けずに子どもの探索動因というかね,そういうことを観てみようと。ちょうどその頃バーラインという人の,curiosityとかexploratory behaviorとかそういうことについての研究が出てきたときで,私もそれに非常に興味をもちました。好奇心に対して影響を与える要因としては,その刺激の新奇さであるとか,複雑性であるとか,あるいはincongruityであるとか,そういう類のものが研究の中にありまして,複雑さを操作した研究があったんですね。それはもう全くランダムな図形なんですけれども,ランダム図形に対してどれだけ好奇心をもってその図形を見るかとか,あるいはどれを好むかとかいうような,そういうpreferenceと,それから見ている時間ですね。そういうものの測定を、小学生をつかって修論でやりました。1・2年生ですと,その好みは別にどんな図形でもそんなに大して変わらないし,見る時間も変わらない。ところが,3・4年生になると, preferenceが結構はっきりしてくる。複雑なものの方を好むし,時間を掛け  て見るというようなことが,まあ非常に単純な結果ですけれど出てきまして,小学校3・4年生になる時期というのが,ある意味で環境をシステマティックに探索する,そういう方向に変化していく時期なんだなということを,とりあえずその研究を通じて私なりに理解したというか,まあそれが私の修士論文です。


―――そうしましたら,今度は修士課程修了後のことをお話し下さい。

 京都市に児童院というものがありまして,今は児童福祉センターになっていますけどね,その児童院で判定員の仕事があるので来ないかというような話がありまして,それやったら現場へ行ってみようという,そういう気持ちで児童院へ行きました。


―――ということは,修士論文でやられた実験がもしかしたら判定員になられる際の一つのきっかけになった可能性はありますかね。子どもを相手にされていたというのは。

 そうですね。全くないとは言えないでしょうけれども,むしろ現実を見たいというか,要するに実験室での行動でなくて,やっぱりフィールドの研究というか,そういうことをやってみたいという,そういう気持ちがありましたね。ただあの,臨床について全く知らない状況でそういう場に入りましたので,やっぱりすごくしんどかったですけどね。


―――どのような点が一番しんどかったですか。

 とにかくその,何も知らないというのが一番つらかったですよね。私らの頃は,行ったらすぐにもう相談業務をやらされましたし,ほとんど研修もなしにね。知能テストとか,発達テストぐらいのことはできましたけれども,他に何ができるかと言えば何もできないですし,それこそロールシャッハとか投影法の類は,私自身は全く経験せずに,その臨床の現場へ飛び込みました。プレイセラピーとかは全然知りませんでしたし,カウンセリングもとりあえずロジャーズは読んでいましたけど,読んでいたと言っても僕らはロジャーズのセルフセオリーに関心があって読んでいましたので,カウンセリングの問題に元々関心があったわけではないので,その辺りのことは知らないんですよね。で,精神分析のことは全く知らない(笑)。臨床やるためには精神医学的な知識も必要ですけれども,それも知らないという,そういう状況でやりましたので,まず基礎知識をある程度身につけるということが必要だと思っていました。ですから,特に児童の精神医学のテキストをきちっと読んでいくとか,バラバラですけどフロイトの精神分析を,とりあえず入門を読んでみるとか。その頃はロジャーズが流行ってお  りましたね。で,ロジャーズのカウンセリングの文献とかそういうものを勉強しようということをやりながら,とにかくその相談業務に携わったというような感じですね。


―――大体何年くらい勤められたら,もうある程度自分はできるようになってきたと実感されてきましたか。

 いや,できるようになったという実感はなかったですね。僕は6年間勤めましたけれども,そこで。その後に甲南女子大学に来たのですけど,できるようになったという実感はなかったですね。


―――そうこう悩みながら日々の生活を送られていたときに,甲南女子大学の仕事の話が来たのですか。

 そうですね。臨床というものを全く捨ててしまうという気持ちもなかったですけれども,やっぱりある意味臨床というものは自分にあんまり向いていないなということは非常に感じていました。それで自分自身の向き不向きを考えたら,もう少し理論的なことを色々考えていくことの方が向いているかなと考えましたね。また当時,臨床心理学に対する根源的な問いかけ――心理臨床は現実社会への適応をクライエントに圧しつけるばかりで,クライエントの役に立っていないのではないかという疑問――があり、これに確信をもって答えることができなかったという事情もあります。それでまあ,とりあえず大学でもう少し自分の考えというものを整理してみようと思いました。それと,6年間臨床の現場へ入っていましたので,その間臨床について多少の勉強はしましたけれど,逆に言えば心理学の基礎的な,理論的なことはある意味遠ざかっていたので,そういうことに対する関心も改めて芽生えてきたということもありまして,とにかく大学でもう一回一からやり直してみようと,そういう気持ちでここへ来ました。


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