わが国の心理学ワールドは現在,「どうしようもないゲシュタル
ト」状態になっています。日本心理学会と応用心理学会(のちの日
本応用心理学会)という二大学会があった時代はもはや昔語りにな
ってしまっています。
太平洋戦争で国土が焼け野原になったのが昭和20年8月,その
翌年の3月には早くも応用心理学会が復興第1回の大会を開いて
います。まさに焦土から葦牙のことく萌えあがったといえましょう。
わが国の中心的な学会である日本心理学会は昭和22年9月に復
興し,その10月には動物心理学会が蘇生しました。当時,心理学
に関係した学会はこの3学会だけだったのです。私は応用心理学会
の復興第1回大会のとき,たった1人で受付をやりました。1人で
十分だったのです。活字でしか知らなかった偉大な心理学者たちを
目前にして感激したのも青春の貴重な思い出です。
昭和24年10月,グループ・ダイナミックス学会が発足しまし
た。戦後新しく誕生した最初の学会です。昭和31年から39年に
かけて,理論心理学会・教育心理学会・社会心理学会・犯罪心理学
会および臨床心理学会が誕生しました。第1次の地殻変動です。そ
の後,昭和57年から60年にかけて,心理臨床学会・人間性心理
学会・基礎心理学会・生理心理学会・家族心理学会・産業・組織心
理学会などが成立しています。これが第2次地殻変動です。そして,
現在のような「どうしようもないゲシュタルト」状態になってしま
ったのです。応用心理学の分化とfacetofaceの専門学会の誕生
が,現在の「どうしようもないゲシュタルト」状態の原因になって
いるわけですが,もうこうなるとエレメンタリズムというほかはあ
せしかしこれは自然の摂理でしょう。
そのような変動が見え隠れしているところに教心が一石を投じ
てきました。昭和41年9月のことです。学会間の連絡機関を設置
しようというのです。ここに「心理学諸学会間連絡会(略称:連絡
会)」という新しい組織ができあがりました。昭和42年1月14
日に第1回の連絡会が開催されています。
ちょうどそのころ,築島謙三・南博・長島貞夫・佐治守夫・水島
恵一から「日心改組案」が提出されたのです。この提案については
『さいころじすと』第14号に私が書いておきました。この5人の
提案は今日にいたってもまだ解決はしていません。日心当局はこの
難問の解決を生まれたばかりの連絡会にまかせました。連絡会は沸
騰しました。当時,書記として久野洋子(現:日心事務局長)と私
が出席していましたが「舷々相摩し怒号渦巻く」ものでした。私た
小さくなって刺激を回避してしまいました。
めんどうな仕事をまかされた連絡会は「日本心理学連合」という
大きな問題をかかえ苦労しました。そして,平成12年3月,新た
に発足した「日本心理学諸学会連合(略称:連合)」にバトンを渡
して,その30年にわたる使命を終えたのです。連合はこれからど
うなるのでしょうか。
日心という巨大な「幕府的存在」を解体すればいいのだと思って
いる向きもあるようですが,そうした場合,各学会はそのままのか
たちで「新政府」をつくることができるでしょうか。各学会が廃藩
置県的な心積もりをしなくてはならないのではないかと心配して
います。
学会員の諸子がこの積年の大問題に強い関心を持ち,将来の心理
学の発展のために活発な意見を開陳してほしいと思っています。