ミニ特集「エピソード*個人差」


心理学研究における「人間一般」と「個々の人間」


村井潤一郎(文京女子大学人間学部)

 
 性格心理学会より、「個人差」についての原稿を依頼された。せっかくなので、本学会の機関誌『性格心理学研究』に掲載された拙稿を出発点に、「個人差」について論じてみたい。ターゲットとなる論文は、『性格心理学研究』第9巻1号掲載の「青年の日常生活における欺瞞」(pp.56-57)である。
 本研究は、青年が一日につくうその回数・つかれたうその回数について、日記法を用いて検討したものである。得られた結果は、男性は一日平均1.57回のうそをつき、女性は一日平均1.96回のうそをついていた、というものである。これは、あくまで平均値である。24人の被験者の値をつぶさにみてみると、23人は、0.14〜3.43の範囲内であったが、残る一人の女性のみが6.29という比較的高い値を示していた。外れ値か否か、微妙なところである。
 こうした場合、被験者の内省報告が役立つことがある。本研究では、調査終了後に事後質問紙を実施し、調査に参加した感想を書いてもらっている。この被験者の感想に“自分の「うそ」というものには、参加している集団の性質上社交辞令等に伴うものが多かった”とある。これより、「参加している集団」という要因がうその回数に関連していると示唆される。依拠する集団がうその回数の個人差に作用する可能性があるならば、次なる研究では、その集団についてのデータを得ることで、より詳細な検討を加えることができよう。このように、個人差こそが、次なる研究の着想を与えてくれることがある。もっとも、正直、個人差は厄介な場合もあろう。しかし、個人差の大きさは、我々に何らかの示唆を与えてくれるのも事実である。
 17世紀フランスのモラリスト、ラ・ロシュフコォは、その著『箴言と考察』の中で「人間一般を識ることは、個々の人間を識ることよりたやすい」と述べている。平均値を算出することで、人間一般について手がかりを得ることができる。標準偏差を算出することで、個人差の大きさについて手がかりを得ることができる。多くの研究は、ここどまりであろう。しかし、それだけでは個々の人間を知ったことにはならない。さらに一歩踏み込むことで、味のある研究ができるように思う。なぜ、この被験者はこの値を示すのか、なぜこの被験者はこういう回答パターンを示すのか、といった考察である。こうした点については、酒井恵子氏の論文「価値概念の個人差とその背景――価値尺度作成課題による検討」(教育心理学研究,2001,49,102-111)が参考になる。
 学生時代、私がある先生に研究指導を受けていたときのことである。「一般」にこだわるあまり、「一般に……」を連発していた私に、先生は「一般などない。あるのは一人一人の人間だ」という主旨のことをおっしゃった。印象に残っている。


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