研究余滴

ベトナム戦争の記憶に耳を傾ける旅

伊藤哲司(茨城大学人文学部)

 「私の誕生日は5月19日です」と言うと、ほとんどのベトナム人から「ほぉー」という感嘆の声が漏れてきます。5月19日は、ベトナムの国父ともいえるホーおじさん(ホー・チ・ミン氏)の誕生日であり、ベトナム人なら誰でも知っている日であるからです。自己紹介でそんな話をすることから、私とベトナム人の関係は始まっていきます。
 そのホーおじさんの存在を精神的な支えとしながら戦われたのがベトナム戦争。20世紀最大の事件のひとつと言っても過言ではないベトナム戦争については、アメリカでも映画やドキュメンタリーで幾度も取り上げられ、また元米兵の精神的な後遺症の問題にも関心が向けられてきました。また一方、親が受けた枯れ葉剤の影響とみられる障害児が今でもたくさん生まれてくることも比較的知られていますし、そんな人々を支援していく動きが日本でも続けられてきました。
 しかし、あのベトナム戦争が当のベトナム人にとって何だったのかということは、ベトナムの国内でさえあまり語られていないのが実情です。1986年のドイモイ(ベトナム版市場経済化)の後、戦後世代の戦争を知らない若者が増えるなかで、政府の決まりきった「我々はかくも勇敢に戦った」というプロパガンダにはもはや関心が集まらず、戦争を体験せざるを得なかった年輩者には、その体験を語る場がほとんどありません。
 周知の通り、昨年9月11日のニューヨークでの同時多発テロの後、アフガニスタンで米軍を中心とする軍事行動が展開されました。かつてハノイ近辺を爆撃したB52戦闘爆撃機が、30年ほどたって今度はアフガニスタンの国土を爆撃したという事実を、ベトナムは注目して見ています。いま、あの過酷な戦争を経験したベトナムの視点というのが、世界のなかでもきわめて重要ではないかと、私は考えています。
 ベトナム戦争はベトナム人にとっていったい何だったのか。それを、当事者であるベトナム人の語りから明らかにしていこうというのが、現在の私の研究テーマです。もちろんベトナム人にも、かつて南側にいてアメリカを支持していた人たちもいました。そういう人たちの中には、「ベトナム戦争はアメリカとの戦いではなく、自由を獲得する戦いだった。アメリカが勝ったほうが良かった」と語る人もいます。一方北側にいて、ベトナムが勝利したことを誇りに思い「私たちは自由と独立のために正義の戦いをした」と語る人もいます。戦争が、いかに人々の心や連帯感を引き裂き、長年にわたってその傷を残していくかを見せつけられる思いがします。
 とてつもなく重たいテーマを抱え込んでしまったものだと思うのですが、戦争の記憶の語りに耳を傾けて旅をする心理学者が、一人ぐらいいてもいいでしょう。語りに耳を傾けていると、その語られる話の過酷さに、こちらまで辛い思いをするときが多々あります。一方で「戦争中はみなが団結していて楽しかった」とも語るベトナム人たちの逞しさ、優しさ、心根の素晴らしさを感じます。ベトナムに行って人々と歓談し、ときに酒を酌み交わしたりすることが何より楽しい。美しいアオザイ姿の女性と出会って、ちょっと気を惹かれるのもまた嬉しい。この旅 たぶん一生続くのだろうなぁ……そんな予感がしながら、今年もまた2度3度とベトナムへ足を運ぶ準備をしています。


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