ミニ特集*学会デビュー
学会デビユー当時の想い出
田島信元(東京外国語大学)

 私が学会で初めて発表をしたのは32年前、M1の秋、日本教育心理学会第13回総会(神戸大学)でした。今ほど多様な種類の学会も存在しませんし、発表といえばポスターではなく口頭発表が当たり前の時代でした。私は、学会大会に参加することそのものも初めてでしたし、事前に発表のしかたを先輩たちに伺おうと思いつつ結局それを怠ったため、よくわからないまま当日は発表論文集の自分のページを開いて、自分のことばで15分間の口頭発表を終えました。しかし、実は会場では大いに冷や汗をかいておりました。というのは、ほとんどの方が発表用の原稿を読む形で準備し、さらに配布資料などを用意して臨んでおられ、資料も原稿もなく発表したのはペーペーだった私ひとりでした。それでも、結果的にはその内容について、大阪教育大学の北尾倫彦先生(現、京都女子大教授)に有益なコメントをいだだき、以降は先生やそのお弟子さんたちとの交流が4〜5年の間続きました。以来、学会が大好きになり、データをとるとかならず学会報告をし、それを論文にするというパターンができました。発表形式についても、恐ろしいことにこの最初のパターンが私のスタイルになってしまい、一度として発表原稿を準備したことはなく、その場で自分のことばで発表してきました。国際学会でも(事前に準備してフレーズを頭に入れることはあっても)、会場で原稿を読むことはしていません。

 そうしたデビユーの後に、日本心理学会でも発表したいと考えて、入会申請をしたのですが、驚いたことに入会を認めてはもらえませんでした。理由は、日心が「学部で心理学関連コースを卒業していること」という規約を掲げていたためでした。私は、東京外国語大学ロシア語学科を卒業していますが、卒業論文は心理学領域で執筆をし、ちゃんと心理学系大学院(東京大学教育学研究科教育心理学専攻)に所属していました。それなのに入会させてもらえなかったのは、当時はかなりショックで恨めしく思いましたし、結局、修士課程修了までは日心に入会は認められませんでした。ちなみに、この規約は私のことがきっかけで(申し入れをしてくださった先生もいらして)程なく改訂されたことを後から聞かされました。しかし院生時代に入会を拒否された経験をもつのは私くらいではないかと思いますし、結構長い間、日心の権威主義的側面に対するネガティブな感情を払拭することができず、苦い思いとして残っていました。

 ついでながら、国際学会のデビューは日心事件の数年後にパリで行われたICPで、その時は件の日心からヤングサイコロジストとして交通費と滞在費を支給されて派遣されました。その際に、「世界の心理学者の意識調査」の一環で、私はJ.S.Bruner先生に面接調査をする使命を与えられ、会場で彼をつかまえました。ところが多くの研究者たちが次々と彼のところに挨拶に訪れ、調査は中断されて結局すべての項目を網羅できずに終わりました。この経験で、学会のアカデミックな部分だけでない社交の場という側面もみて、ちょっとネガティブな印象をもちました。

 以上のような私の学会デビューに纏わる一連の経験は、後に日本発達心理学会の立ち上げに加わった際の意識にも反映していますし、現在の私の学会大会参加への態度にも影響しています。学会デビューを果たされたばかり、もしくはこれからデビューしようとしている若い方々には、是非、他の研究者の前で自分の研究や考えをきちんと述べ、コメントや質問をもらうことの意義や楽しさを理解していただきたいと思います。事前に収集したデータを地道に分析し、考察して臨むことは言うまでもありませんが、その後も発表に対して受けた反応について考えたり、そうして知り合った人と研究交流を続けたりするなど、自分の次の研究の原動力としていくことで、学会活動がより充実したものになるよう期待しております。


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