ミニ特集*自我・自己の探求

自己の心理学的探求について

榎本博明(名城大学人間学部)enomotoh@ccmfs.meijo-u.ac.jp


自己についての研究は心理学の領域でも盛んに行われてきている。しかし、心理学的とされる研究成果を前にして、これで自己にどれだけ迫れているのだろうか、と考え込んでしまうことしばしばである。心理学研究の世界には、数多の心理測定尺度が乱立している観がある。自己という心理現象の特定の側面を捉えようという尺度もたくさんある。自己の心理学的研究の主流は、そのような尺度を用いた研究であろう。これらを前にして私が考え込んでしまう際、主としてつぎのようなことに引っかかりを感じていたように思う。

 @自己という心理現象のさまざまな側面を概念化し、個々の概念を捉える尺度が開発されているが、このような項目を用いることで、はたしてこの尺度が測っているとされる概念が捉えられているのだろうか。

 A各尺度で捉えられているとされるそれぞれの概念は、相互に独立に作用するとは考えられず、複合的な心理を個々の側面に絞った項目によって捉えようとすることで、現実から遊離した構成概念の研究になってしまうのではないか。

 B尺度を用いた調査の結果、因子にうまく収束する項目に絞ることで、個人にとっては重要な意味をもつ項目がこぼれ落ちたり、そもそも研究者の視野に入らない要素が項目化されていなかったりということがあり、特定の概念が特定の因子構造をもつという議論にどこか胡散臭さが漂っていないだろうか。

 C項目を提示されればだれもがどんな項目に対しても評定値を答えるが、日常生活においてはたして一般の人々はそのような項目内容を意識しているのだろうか。

 D研究者が特定の概念に着目し、その概念の有意味性を強調できるような尺度構成を行い、調査協力者にその概念のあらわす世界に意識を集中させてデータを引き出し、その概念および尺度を用いることの妥当性を示すのに都合の良い比較尺度を用いて検証する、という類の研究が主流だが、これはトートロジーのようなものなのではないか。

 もちろん、私も心理学者としての方法論を共有している部分はあり、以上のような疑問が頭をもたげることがあっても、そうした研究を否定するものではないし、自分自身その類の研究を行ってきている。だが、この類のいわゆる実証的とされる研究だけではとらえきれないところが大きいのが自己という心理現象なのではないだろうか。

 本人がどのようなことに価値を置きどのようにものごとを解釈しているのか、本人が日常生活の中で引っかかりを感じているのはどういうことなのか、本人が自らの過去経験をどのように受けとめどのように意味づけているのか、本人がどのように将来を見つめているのか、などといったことを本人の心の世界の意識現象に可能な限り即して捉えるにはどうしたらよいのだろうか。

 そこで私が始めたのが自己物語法と名づけた面接調査を用いて個々人の自己物語を抽出する研究である。これにより個人の内的世界の表現をできるだけそのままに捉えることをめざしてきた。しかし、この方法においても、尺度を用いた研究が尺度項目の影響を免れないように、問いかけ手であり聞き手である研究者の影響を免れない。また、尺度を用いた研究がトートロジーに陥らざるを得ないように、研究者の解釈の枠組みで重要と思われる言葉を抽出し有意味な流れを構成するなど(語り手との共同作業として行うにしても)主観的であることを脱することはできない。

 そこで重要な意味をもつのは、心理学って何なのか、科学って何なのかということである。さらには、心理学が科学という枠組みに収まると考えるべきかどうかも議論が必要なところであろう。そのような議論を踏まえつつ、自己という心理現象をどのように定義づけ、どのようにして迫るかを考えていかなければならない。


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