【研究余滴】

かんがるぅからの贈り物

菅野幸恵(青山学院女子短期大学) suganoy@luce.aoyama.ac.jp


今から7年前、お母さんたちのお腹にいた子どもたちが、この春小学生になる。私たちが関わる共同縦断研究プロジェクト(かんがるぅプロジェクト)に参加してくれている子どもたちだ。私たちは訪問頻度や、訪問の際の課題を共通にして、一人が何軒かの家庭を担当するという形で、研究をすすめている。全部で40数軒のうち私は10軒ほどの家庭に、生後0ヶ月から3ヶ月おきにお邪魔している。そこで、子どもとお母さんが遊んでいるところをビデオにとらせてもらったり、お母さんに子育てに関するお話しを伺ったりしている。こんな研究をしていると、さぞかし将来に役立つでしょうねと言われるが、自分がもしそのような機会に恵まれたとしても、それはまた別だろうと思っている。

 しかし直接役に立つかどうかは分からないけれど、自分がお邪魔している家庭だけではなく、この研究を通して、本当にたくさんの子どもたちや、ご両親、おじいさん、おばあさんにまで出会えたことは、思いがけない大きな収穫だった。10軒あれば、10組の夫婦のありよう、家族の姿がある。核家族で、夫が働き、妻は家にいる現在の子育て世代でもっとも典型的な家庭でさえも、そのあり方はさまざまだし、共働きもしかり、夫の両親、妻の両親と暮らしている家庭もあるし、結婚してからほぼずっと夫が単身赴任の家庭だってある。出産方法だって、家の形態だって、食べるものだってひとつとして同じ家なんてないのだ。本当にさまざまな家庭のなかで、子どもたちは育っている。だから子どもたちも同様で、まさに十人十色、子どもたちそれぞれに個性的な発達のありようがみられる。発達には個人差があることを教科書的には理解していても、実際目の当たりにすると、こんなにも!と感動してしまう。たしかにそれぞれの子どもたちの発達のみちすじは、教科書に書いてあるプロセスにあてはまるのだけれど、私たちは教科書には書いていない、子どもたちの発達の背景にある豊かな文脈を目の当たりにすることができるのだ。

 この豊かな文脈のお陰で、私たちは、子どもたちの行動や母親の語りをとてもリアルに感じることができる。しかも私たちは幸運にも7年もの間、これらの家庭と関わることができた。その間それぞれの家族にはいろいろな変化がおとずれたけれども、継続してみることができたことも本当にありがたいことだ。この多様な文脈における家族のあり方、子どもたちの発達を見ることができたことは、研究以外のところでも役に立ってくれるだろう。

 とはいっても自分で行くことができる家庭の数は限られている。他の家庭の様子も見てみたい、もっと頻度を多くして行きたいという欲望もあるが、実際にはなかなか難しい。私たちは、少しでも生産的に研究をすすめるために、2ヶ月に一度データ検討会なるものを行っている。ここで、自分が行っていない家庭の情報をお互いに共有することができる。看護婦の申し送りのように決まりきった形でするのではなく、誰かの研究の話をしているときに○○さん家の話がでてきて、それが結構有益なのだ。また誰かが、この研究のデータを分析しようとする。

 たとえトップダウン的に出された問いだとしても、すぐにそれを、具体的な誰かに当てはめて考えることができるのだ。この会よって、生き生きとした人たちの生き様や膨大なデータを目の前にしてひとりで呆然としてしまうということを避けられるような気もしている。研究の形にしていくとき、本来私たちが目にしているはずの、豊かな文脈は切り落とされてしまいがちなのだが、この会によって私たちは無謀な切り取りをしなくてすんでいると思う。

 目の前の子どもたちの成長のスピードに比べると、自分たちの研究が進むスピードはなんてゆっくりとしているんだろうと、落ち込むことも多いのだが、あまり焦らず、着実に記述していけたらと考えている。そしてできることなら、今年小学生になる子どもたちが、次の世代を育てるときがくるまで見守りつづけたいというのは、欲張りすぎるだろうか。

 かんがるぅ・プロジェクトのホームページはhttp//fuga.shohoku.ac.jp/teacher/yoriko/ index.htmです。よろしければ一度ご覧下さい。


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