ミニ特集 現場からみたパーソナリティT
裁判における事実認定と「実体的」性格・動機
黒沢 香(東洋大学社会学部)

 少し前、さる著名人が「覗き」の疑いで逮捕されました。そして、わいせつ写真などの「証拠」が自宅の捜索で見つかったことが第1回公判で明らかにされました。報道したマスメディアの論調は、もうすでに有罪判決が出たかのようでした。それで「ああやっぱり」とか「そういう人なら、きっとやったのだろう」と思った人が少なくないように思います。しかし、私の友人は「そんなことを言えば、誰でもみんな有罪にされてしまう」と批判的でした。
 法の考え方で罰することができるのは「覗き」の行為だけです。その行為があったことが証明されなければならないし、証明できれば十分なのです。自宅から何が出てこようと、この種の事件・行為には関係ないはずです。それがなぜ証拠になりうるのでしょうか。裁判には、本来、行為・行動を直接に証明する証拠が出されるべきなのですが、それが十分でなく、「性格」や「動機」という「状況証拠」「補強証拠」が「かり出されて」いるのです。
 このように証拠が不十分なとき、「そういう人なら、きっと(悪いことを)やったのだろう」と推論してよいのでしょうか。このことについては、心理学ワールド(第9号、1998年)に、イギリスには「悪性格ルール」なるものがあり、「性格」を有罪の証明に使えないことを紹介しました。わが国の裁判のあり方はまったく逆で、「性格」「動機」の類が事実認定に積極的に使われています。関連することをあげれば、英米では基本的に前科・前歴は、有罪の証明に使えないため、裁判に出されませんが、わが国では普通、真っ先に出されます。米国で、偏向しかつ有害な情報の典型として研究に使われるものが、わが国では有力な「証拠」なのです。
 わが国の裁判官の事実認定は、実に被告人の性格にまで及びます。裁判官が判決文に書けば、被告人がどのような性格なのか法的に社会的に決定されてしまうのです。「実体的真実」の考え方が主流で、性格や動機も現実に実在すると考えます。そういう「実体」を犯罪の原因とする因果論です。これらの点で、英米の裁判はずっと謙抑的です。
 しかしそういった「実体」を、どうやって知るのでしょうか。強制捜査によってです。逮捕して自白を迫り、関係各所を捜索して補強証拠・状況証拠をあさります。つまり犯人に間違いないことを前提に、実体の表現物を探しますが、徹底的にやれば「誰でも」ボロは出てきます。犯罪的性格や動機を間接的に示唆するよう、都合よく解釈できる情報は必ず入手できるのです。その上、被疑者に有利な証拠は無視されるか、最悪の場合、隠されてしまうことすらあります。
 精神鑑定は、この問題を分かりやすく示してくれます。特定の診断は、犯罪前にはまず不可能です。心理学ワールドに書きましたが、被疑者が犯人であることを前提にしているのです。ずさんな鑑定も珍しくありませんが、その結果を参考に、裁判官は事実認定するのです。
 残念ながら、パーソナリティ心理学はまだ、この現状に影響力を持つにいたっていません。それどころか、心理学を専門とする者にも、同じ問題が少なからず見られます。性格特性や動機概念を(実体ある)人間行動の原因と考える静的モデルにしがみつき、そういう実体を「測る」尺度を次々に創作し、構成概念や構成概念妥当性が理解できない研究者たち。早く変えるべきと思うのは、今の裁判にフラストレーションを感じている者の八つ当たりでしょうか。


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