ミニ特集 現場からみたパーソナリティII
福祉における「こころ」
田垣正晋(大阪府立大学社会福祉学部)


 本稿では、社会福祉分野において、こころがどのように見なされているのかを考えてみたい。私の専門は、身体障害者の心理社会的問題に関する質的研究である。インタビューによるライフストーリー研究を数多くしてきた。いわば、障害者福祉と障害者心理学との中間にいる。フィールドワークをしながら、こころ(ときには、意識や内面や心理と語られる)の見なされ方について、次のような傾向があるだろう。
 第1に、ブラックボックスとしてのこころ、あるいは、十人十色のこころ、である。これは、人のこころは多種多様であり、パターン化することはできない、というものである。私が、「障害者の心理を研究しています」というと、「人によって色々だから、そんなのわからないでしょう」という答えがかえってくる。「わからない」こと自体は結果としては仕方がないかもしれない。だが、科学的探究あるいは広い意味での法則発見の努力の放棄になってしまうと恐ろしい。例えば、ある社会問題の原因が、「こころ」に帰属されてしまったとき、「その問題は仕方がない」となりかねないのである。
 第2に、人の行動を規定するものとしてのこころである。これは、「こころ」がある状態になれば、望ましい行動をするようになるというものである。例えば、リハビリに励ませるためのこころ、自己決定できるようになるこころ、差別をしないこころ、である。情報処理モデル的な「こころ」観がもたれていて、しかも、人の外面的に現れる行動は、こころによってコントロールされるととらえられている。
 社会福祉なかでも、個人を援助するケースワークの分野は、歴史的には個人を重視した心理学から出発し、環境かこころかで揺れ動いてきたにもかかわらず、上述のように「こころ」を皮相に扱っている。これを解決するには、両分野の研究者の真の意味での交流が必要だと思う。「福祉心理学」というタイトルを冠した著書は、福祉の研究者からすれば「心理より」に見えてしまう。一方、福祉におけるこころの扱いは上記の通り、あまりにも皮相的と言わざるを得ない。社会的構成主義は、こころを言説として捉えているものの、相対化に終始してしまい、「だからどうなんだ?」と言いたくなる。パーソナリティ心理学には、過度な相対主義に陥ることなく、心理と福祉との融合にがんばって頂きたいと思う。


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