【研究余滴】
「わるいことをした」という気持ち
稲葉小由紀(愛知学院大学大学院総合政策研究科)


 「わるいことをしたらだめでしょう」「謝りなさい」ということばは、幼い子どもへの叱りことばの定番といえます。ある日、幼稚園で2人の男の子がケンカをして先生に怒られている場面に出会いました。Aくんはケガをしていて目が腫れています、Bくんは先生に謝りなさいと言われ、イヤイヤ(ふてくされて)謝っていたのです。そして、A君は「いいよ」と、B君のことを許していました。この場面を見ていて、「この子達はいつ頃からほんとうに心からわるいことしたと思って謝るようになるのだろうか」と思ったのが、罪悪感の発達的変化を研究するきっかけになりました。
 研究テーマが見つかったのは良かったのですが、いざ調査にかかると幼児期の罪悪感を測定することの難しさに直面しました。私の扱いたい罪悪感は対人関係のなかで起こるもので、「他者の心の痛みへの気づき」を重視し、それを感じることができることで、ポジティブな対人関係を創り出せるものだと考えています。この定義の複雑さが調査を困難にしていました。そこで、まず、複雑な人間関係の中で生活している青年期以降の人への調査から現代の人が感じている罪悪感を明確にした上で、幼児期の調査に入ろうと考えました。
 そして、青年期以降(13歳〜83歳)の罪悪感の発達的変化について、中学生・大学生・成人期以降の3つの時期に罪悪感を感じる程度を調査しました。そこでは3つの傾向が見られました。
 1.「人の好意を無駄にしたとき」や「人から頼まれたことをしなかったとき」などの状況で、加齢とともに罪悪感を強く感じているようでした。
 2.「自分の行為で友達を傷つけたと思ったとき」のような他者との関係が密接な状況では、大学生が最も強く罪悪感を感じていました。
 3.「同じ事をしていた他人は注意されたのに自分は注意されなかったとき」のような、他人は嫌な思いをしているのに、自分は嫌な思いをしていないような状況では、大学生はあまり罪悪感を感じていないことがわかりました。
 調査の結果から、状況によって罪悪感を強く感じる時期があることがわかり、この結果をうまく幼児期の調査に反映させることが今後の課題になりました。
 他者の心の痛みを考えない事件や行為を見聞きすると、社会生活の中で罪悪感を感じることは大切なことだという思いが強くなります。
 様々な要因から影響を受ける罪悪感ですが、感じるべきときには感じられるような「健康な罪悪感」の育つ社会であってほしいと思います。


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