パーソナリティ心理学と社会

 パーソナリティ心理学に関するみなさんの質問に当学会の理事の先生方がお答えします。


Q01.星座とか干支(えと)で性格が違うって言われますけど,そういうのも性格に関係するのでしょうか?昔から伝えられてきたことだし,四柱推命とかは生年月日に基づいた占いも、よくあたるといわれています。血液型よりは情報も多く分類も複数なので、性格と関連があるように思うのですが。
回答:
 これまでの科学的なパーソナリティの研究では,血液型のみならず,星座や干支に関しても,残念ながら性格と関連するという,明確で一貫した証拠は報告されていません。なおここで,「関連がない」という表現に注意してください。これは,「A型の人々の中には神経質な人がいない」ということを指すのではありません。「A型の人々の中にいる神経質な人の割合は,A型以外の人々の中にいる神経質な人の割合とほとんど変わらない」ということを意味しています。この点を誤解のないようにしていただきたいと思います。
 さてまず,「より細かく分類した占いは,よりうまく性格を予測するのか」という問題を考えてみたいと思います。これはたとえば,血液型だけよりも血液型と星座の組み合わせの方が,性格を上手く表すだろうという考え方です。ところが,血液型も星座もともに性格への予測力がないのであれば,それらを組み合わせても予測力が高まるわけではありません。別の例で説明してみましょう。コインを投げて表が出るか裏が出るかによって,今日の日経平均株価が上がるか下がるかを予想するとします。もちろん,コイン投げで株価の予想はできません。ではこのとき,コインを2枚,3枚と増やせば予測力が上がるでしょうか。そうではありませんよね。血液型や星座や干支を組み合わせて複雑にしても,株価を予測するコインの枚数を増やすようなものなのです。
 また,「昔から言われていることであればそこに真実はあるのか」という問いに関しては,「そこに真実があることもあれば,そうではないこともある」というのが適切な回答になります。たとえば,日本全国で昔から「雨乞い」という儀式が行われていますが,その儀式が雨雲と降雨に対して何らかの影響を及ぼすとは,科学的に考えにくいですよね。またたとえば,戦前には「指紋と性格(気質)に関連がある」という説も,「指紋の形状と血液型には関連がある」という説もありましたが,現在では誰も信じていません(もちろん実際に関連はありません)。確かに古くから言われていることについては,そこに真実が隠されていることもあります。しかし,私たちは知識を改訂し,より真実に近い知識を見いだすことで進歩を続けてきたとも言えるのではないでしょうか。
(回答者:小塩真司)

Q02.最近は血液型の本がすごく売れているそうです。私は、血液型と性格には関連はあると思っています。しかし友達は、心理学の先生から血液型と性格に関連はないと聞き、私の考えは非科学的だと言います。 たしかにテレビで、血液型で性格に差がないという実験もみましたし、アメリカやヨーロッパでは、血液型と性格を関連付けた議論すらないのも知っています。 でもそれは、表面の行動にはまだ出ていないだけで、本当は関係あるのではないですか?
回答:
 血液型と性格との関係が心理学や科学の立場からは認められていないということは,最近ではテレビや雑誌などを通じて一般の皆さんにもよく知られるようになってきました。みなさんはそうした科学に対して「頑固」とか「頭が堅い」とか感じませんか。そのとおり,科学というのはとても頑固で頭の堅いものです。もちろん科学でも仮説としてはどんなアイデアでも自由に主張することができますが,そのアイデアが「科学的な事実」として認められるためには,そのアイデアを主張する人が科学のルールに則って集めたデータから,確実な証拠が示される必要があります。
 残念ながら,血液型と性格の関係を主張する人々の中でそうしたデータを示している人はほとんどいませんし,そうしたわずかなデータも科学のルールに則っているとはとても認められないものばかりです。いっぽうわれわれ心理学者は血液型性格判断を生み出した責任をとって[注1],自分たちで血液型と性格との関係について科学的なデータを集めてきましたが,そうしたデータからは血液型と性格の関係がほとんど確認できていないことはご存知の通りです。
 それでは,血液型と性格の関係を示すデータがなければ「血液型と性格には関係がない」と結論してよいかというと,そうではありません。データが示されないことから言えるのは「いまのところ血液型と性格に関係があるとはいえない」ということだけで,「関係がない」と言い切ることは,科学のルールからもできないのです。
 「血液型と性格とに関係がある」というアイデア自体はけっして非科学的ではありません。ですから血液型と性格の関係を主張する人々が,科学のルールに則って血液型と性格の関係を証明するデータを示せば,われわれ心理学者も即座にその関係を認めるでしょう。しかしいまのところはそうしたデータはありませんので,血液型と性格の関係は科学的事実としては認められていないわけです。
 そんな面倒な話だろうか,と思いますよね。血液型と性格に関係があると感じている人がいる,私もそう感じている,それをどうしてそんなに否定しなければならないのか。その原因は血液型と性格との関係を主張する人がなぜか「血液型性格判断は科学だ」と主張することです。科学だというなら科学者と同じルールに従ってもらわないと話ができませんし,ルールを守らないなら科学ではありません。
 でも文学や芸術のように,科学でなくても素晴らしいもの,役に立つものはこの世にたくさんあります。科学にこだわらずに血液型性格判断を味わい,楽しむ道はいくらでもあると思います。私にはむしろ血液型を信じるみなさんのほうが「科学」にこだわっているように見えることがあります。

[注1]血液型性格判断の基礎を作った古川竹二(1891-1940)は昭和の初めに活躍した心理学者・教育学者です。
(回答者:渡邊芳之)

Q03.私と妹は姉妹なのに,性格が正反対です。同じ親と同じ環境で育ったのに,どうして性格がこんなに違うんでしょうか?NHKの朝ドラで主演の三倉茉奈と三倉佳奈は双子の姉妹ですが,顔だちや背格好がそっくりです。彼女たちは、性格もそっくりなのでしょうか?
回答:
 同じ親から生まれ、同じ家のなかで育ってきたのに、きょうだいの性格が違うのはとても不思議です。自分自身の性格を振り返ってみても、親に似たところもあるし、そうでないところもあります。同じ親から生まれたのであれば、自分だけでなくきょうだいも同じ素質を受け継いでいると考えるのが自然です。神経質な親から神経質な子どもが生まれるというものです。しかし、実際は内気な姉もいれば陽気な妹もいるのです。このような違いは性格が形成されるプロセスによるものですが、そこには遺伝的な要因と環境による影響が考えられます。親の養育態度、友人関係、学校の教育目標、仕事の種類、社会の情勢などは環境の要因です。これ以外にも、まだまだ無数の要因が影響しています。
 さて、環境的な要因のひとつに役割性格というものがあります。これは、その人に与えられた社会的役割によってつくられた性格のことです。部活のキャプテンになる、会社の課長や部長になる、父親や母親になれば、それぞれの役割に期待される性格が形成されます。この役割性格のなかに「出生順位」という考え方があります。出生順位とは生まれた順番のことで、親の養育態度に関係するものです。長子(長男や長女)、次子(次男や次女)、末っ子、一人っ子などとして生まれると、育っていくなかでそれぞれの性格が違ってくるのです。それでは、なぜ出生順位と性格とが関係するのでしょうか。
 まず考えられるのが、親の接し方の違いです。これが最も大きい原因です。男子であっても女子であっても、どこの家でも最初の子どもに対しては子育てが初めての経験ですから、すべてにわたってしっかりと一生懸命に育てるはずです。しかし、二番目以降の子どもに対しては、親に子育てへの自信と余裕が生まれ、最初の子どもの接し方と違いが出てきます。このような親の姿勢が子どもの性格の違いをつくっていくのです。
 もうひとつは、きょうだいの役割に応じた性格がつくられるというものです。つまり、親の子どもへの期待が性格の形成に影響を与えているのです。多くの家では、長子を「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼ぶことがあります。下のきょうだいだけでなく、父親や母親もそのように呼ぶことがありますが、下のきょうだいを「弟ちゃん」「妹ちゃん」と呼ぶことはほとんどありません。「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼ばれた人は、「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」らしく振る舞うことが求められます。長子に対する親の期待の表われです。「我慢しなさい」「いい子にしなさい」などがその例でしょう。そうしないと、「らしくない」と叱られることが多くなってしまうのです。長子的性格、次子的性格、末子的性格、一人っ子的性格などの特徴が研究されていますので、調べてみるとよいでしょう。
(回答者:藤田主一)

Q04.高校で受けた職業適性検査の結果には,希望の職種には向いていないと書いてありました。性格によって向いている職業や向いていない職業があるのでしょうか?希望する職業が自分の性格に向いてない場合は,あきらめたほうがいいのでしょうか?
回答:
 進路に関する検査結果を楽しみにしていらっしゃったでしょうに、とても残念に思われたことでしょう。
まず、一つ目の質問に関してですが、高校での進路適性検差では、得意科目の組み合わせから文系か理系か大まかに分類し、興味の傾向、行動のパタンから診断結果を出すのが一般的です。例えば入社試験の2次試験で時々使用されるテストの1つに「内田クレペリン精神作業検査」があります。このテストでは、隣り合った1桁の数字を足すという単純な作業の繰り返しを休憩5分をはさんで、合計30セット35分行います。スピードと正確さ、忍耐強さ、気分の切り替えなどから、電車の運転士さんなどの「ミスが(事故につながるため)許されない職業」への適性がわかります。
 しかしこれらのテスト結果は、当然と言えば当然ですが、実際の仕事を行う状況から独立にテストされ、抽出されたあなたの特性です。職場では同僚やお客様など相手との関係性の中で、その特性をどう生かすか?ということが重要です。先ほどの電車の運転手さんの「ミスの少なさ」、「慎重さ」といった特性も事故や天災が起こった後の緊急事態で発揮されるかが重要になるわけです。ですから、ここに進路適性検査の限界があるのです。
 二つ目の質問に関してですが、結論から言えば、あきらめる必要はありません。テストで測定される能力は、当たり前ですが測定できるものにのみ限られています。測定していない領域にある自分の可能性を信じ、トライしてみるのも良いと思います。また向いていないということは、この検査で「別の自分の能力」が見出されたのかもしれません。その場合には、他の職種も選択肢の一つとして視野に入れるとよいでしょう。
 進路決定には、「なぜその職を希望したか」の動機の確認も大事です。「社会的に安定したいから」「他の人も希望しているから」「完璧に自分に合った職業を見つけるまでは就職を決めない」では、進路適性検査の結果をみても迷いが生じます。  仕事しながら自分の適性を考えるくらいの大らかさで、就職活動に臨みましょう。
(回答者:松田英子)

Q05.私の父は普段おとなしく無口なのですが、お酒を飲むととても陽気になり、冗舌になります。アルコールで性格は変わるものなのでしょうか?
回答:
 結論から申し上げると、アルコールで性格が変わることはありません。私たちは、誰もが他人を気遣いながら社会生活を営んでいます。例えば、あなたが学生であるなら、教員や部活の先輩に対して失礼な振る舞いや言動をしないように努めるでしょう。また、本来は支配性や外向性の高い会社員が、上司や取引先の相手に嫌われないようにするために控え目に行動することもあるでしょう。こういった傾向は程度の差こそあれ、普段、親しく付き合っている親友や恋人に対する場合にも見られます。このように、人は相手や場面に応じて自分を抑制しながら生きています。なぜならば、自分の思うままに行動(言動)してばかりいたのでは、対人関係に支障をきたしたり、社会的な信用を失ってしまうことがあるからに他なりません。しかし、自分を抑制し、相手を気遣いながらの交流には緊張がともなうものですし、人と人とが心からうち解け合うのを妨げる原因にもなります。ややもすると、過剰な自己抑制はストレスを生み、心の健康を脅かしかねません。つまり、人が心理的かつ社会的に適応していくためには、状況に応じて自己抑制と自己主張をうまく織り交ぜながら生きていくことが必要なのです。
 ところで、飲酒には自己抑制を緩和する効果があると言われます。アルコールの摂取によって理性をつかさどる大脳皮質の前頭前野の働きが麻痺することが原因のようです(そのあたりのメカニズムの詳しい説明は、近年の脳科学の研究をご参照下さい)。人はお酒を飲むと、日頃抑えている感情などが表に出やすくなるというわけです。いつもは緊張関係にある上司と部下、教授と学生が飲酒をともなう親睦会などで和気あいあいと話しているのは、まさにこの効果の賜物(たまもの)であると言えるでしょう。適度な飲酒は、人と人とのあいだに立ちはだかる遠慮や気遣いといった鎧(よろい)を取り払い、人間関係の親密化や緊張の緩和に役立つものであると言えます。
 普段はおとなしいお父様がお酒を飲むと陽気になるのは、性格が変わったのではなく、様々な経験やおかれている状況によって抑えられがちなお父様の社交性が飲酒によって表れやすくなったのだと考えられるわけです。つまり、元来、陽気な面も持ちあわせている人であると言えます。
 ただし、抑制の緩和をもたらす飲酒量は人によって千差万別であり、かなりの量を飲んでもいわゆるほろ酔い状態が持続する人もいれば、ほんの少しのアルコールでその時の記憶を失うほど抑制が弱くなってしまう人もいます。後者がどのような弊害をもたらすのかは説明を待たないでしょう。社会人になると、多かれ少なかれ酒席に参加する機会が訪れます。これは酒好きである回答者自身への戒めでもありますが、抑制が適度に緩和される酒量を自分自身で把握し、それを超えないようにすることが肝要であると言えます。
(回答者:中村真)

Q06.私は引っ込み思案で、高校までずっと、あまり積極的に人と関わりを持ってきませんでした。けれど、大学に入学したら、明るく好印象を持たれる性格になって、積極的にいろいろなことをやってみたいと思っています。どうやったら性格を変えることができるのでしょうか。そもそも性格って成長してからも変えられるのでしょうか?
回答:
 引っ込み思案で悩む人は大勢いますが、往々にして「引っ込み思案の悪循環」とも言える状態に陥っていて、そこからなかなか抜け出せないでいるようです。他者に対して消極的な態度で接すれば、当然、相手との会話も弾みません。話題も広がらず、結局、盛り上がりのないまま、会話は終わってしまいます。こうした経験から、「自分は話下手だ」とか「他人と会話してもつまらない」とか「結局、他人には理解してもらえない」などという思い込みが強くなり、ますます、対人関係に消極的になってゆきます。このような連鎖が続いてゆくことで、引っ込み思案は自分の性格として定着し、他者との距離が拡がってしまいます。大切なのはこの悪循環からうまく逃れることです。
 そもそも他人に対して消極的になるのは、「他人の評価が気になりすぎて不安になる」とか「人とどううまく会話をしてよいか分からない」といった理由が考えられます。従って、不安を低減したり、社会的なスキルを鍛えたりすることは確かに有効ではありますが、一朝一夕には成し遂げられません。専門のカウンセラーやトレーナーにつくことも必要になります。そこまでやらなくても、引っ込み思案を解消するために、まず、自分で出来ることをお話しいたします。それは少しずつでもよいから、「他人と絡んでみる」ということです。
 「それができないから苦労してるのに」と言う人がいるかもしれませんが、引っ込み思案解消には段階というものがあります。おそらく、最もストレスが少ないのは、人の話を「聞く」という絡み方です。引っ込み思案になると、「自分は周囲からどう見られているか」などと、自分のことばかりが気になってしまい、人の話が上の空ということも少なくありません。ですから、まずは、相手の話をよく聞いていただきたいと思います。そして、何か興味のある部分を探してみましょう。自然に、相手の話を「聞く」という役割がとれるようになると思います。「へー」とか「なるほど」など、興味を声に出すことも大切です。さらに、何か疑問に感じたことを、「質問する」という形で絡んでみましょう。相手の方も、自分の話に興味を持ってくれれば、うれしくなってさらに多くを語るかもしれません。また、逆にあなたに質問をしてくるかもしれません。人との関わりは、すべてあなたがリードする必要はありません。相手のペースにうまく巻き込んでもらうのもよいでしょう。
 こうして少しずつでも、他人と絡んでゆけば、他者との間で、あるいはグル―プの中で、あなたの"キャラ"が定まってゆくことでしょう。「物静かだけど、面白い子」といったポジションも悪くありません。それが、対人関係の中での「自分の場所」になり、緊張感や不安感からも次第に解放されてゆくはずです。人付き合いが楽しいと思うようになれば、モチベーションも高まり、積極性も増してくるはずです。これが、「引っ込み思案の悪循環」の逆回し、つまり、「明るいキャラクターへの良い循環」です。
 「性格とは成長してからも変えられる?」という質問がありました。性格をどう定義するかにもよりますが、今見てきたように、個人の持つ印象は対人関係に負うところが大きいものです。キャラクターの設定は自分だけでなく、周囲も大きく関わるからです。集団の中であなたに与えられるキャラを性格と考えるなら、それはもちろん変えられます。今までのあなたは、蟻地獄のような悪循環に陥って、ただもがいていただけかもしれません。その姿はきっと本当のあなたのキャラではなかったはずです。大学生活は新しい人間関係の場を用意してくれます。これは大きなチャンスです。多くの新しい友人と、あなたなりに絡みながら、本当に自分に合ったキャラクターを見つけていただければと思います。
(回答者:菅原健介)

Q07.私はよく、周りの人から性格が変わっていると言われます。私自身は全くそう思っていないので、ちょっと心外です。“変わった性格”というのは、具体的にどのような性格で、他の人とどれくらい違うのでしょうか。
回答:
 友人と考え方が違って何かトラブルがあると、“あの人は変わってるから・・・”などと影で言われたりします。このように“変わっている”と評価されるということは、ネガティブな意味合いがあると思われます。一般的には、大多数と違う考えや行動を取る人のことを、“変わっている”というと考えられます。広辞苑でも、変人というと、「風かわった性質の人。変り者。奇人」とあります。
  パーソナリティ心理学の立場に立てば、変人というのは他者と変わっていることを志向する人だといえます。専門的には、独自性欲求(Snyder & Fromkin、 1977)と言います。多くの人は、人と同じ行動を行い、対人関係を円滑にしていきます。一方で、自分はまわりの人々とは異なる存在でありたいという独自性欲求も持っています。この欲求が高い人は人と変わったことをするので「変人」と言われるでしょう。どの程度他者と変わっているかは、独自性欲求尺度(岡本,1985)で調べてみると良いかもしれません。また、独自性欲求が高い人は、署名が大きくなる(Snyder & Fromkin,1977)という研究結果があります。あまり正確ではないですが、署名の大きさ(長さ×高さ)を他者と比べてみるという手もあります。
  同調、協調を尊ぶとされる日本文化では、変人をネガティブに捉えがちです。しかし、人と違う考えを持っていることには、良いこともあります。人と違った発想ができるということは、それだけ他者に先んじるチャンスがあることになります。偉大な業績を上げた発明家や科学者は、よく奇人、変人と周囲から言われます。日本では、小泉元首相も「変人」と評されていました。変人は、考え方を変えればすばらしいパーソナリティだと言えます。一方、「町中で裸になる」など奇行をする人となると、精神疾患の一種である可能性があります。これは目立ちすぎると、かえって悪印象となることすらわからない状態です。たとえば、他者がどう思っているかわからないため、平気で変な行動をしてしまう障害もありますし、目立とうとするあまり行き過ぎた行動をとってしまう障害もあります。奇行ばかりしていては、対人関係がうまくいかないと思われます。その場合は、専門機関に相談すべきでしょう。
  英語では、独自性のある良い意味での「変さ」は「unique」、風変わりで奇妙な意味での「変さ」は「strange」と表現されます。日本語では、どちらも「変わった」と表現されてしまいます。友人がどういう意味で「変わっている」と言っているのか、「それって、ユニークってこと?」などと聞いてみても良いかもしれませんね。
(回答者:有光興記)

  • 岡本浩一 (1991). ユニークさの社会心理学―認知形成的アプローチと独自性欲求テスト 川島書店
  • Snyder, C.R. & Fromkin, H. L. (1977). Abnormality as a positive characteristic: The development and validation of a scale measuring need for uniqueness. Journal of Abnormal Psychology, 86, 518?527.

    Q08.先日の合コンで、心理学科の学生さんと話す機会がありましたが、何か私の心を読まれているようで落ち着きませんでした。心理学を勉強している人は、相手の考えていることが読めたり、相手の性格がすぐに分かってしまうのでしょうか?
    回答:
     心理学科の学生だからといって、人の心を読めるわけではありません。むしろ鈍感な人が多いかもしれません。勉強をすることで力が付くのだったら、経済学者は皆お金持ちになってしまいますが、そういうことはないですね。両親が教師である家の子どもが優良児に育つわけでもありません。倫理学者が倫理的とは限りませんし、もうやめておきますが、とにかく、専門家だからといってそれが日常生活でも役に立つわけでもないのです。心理学科の学生はまだ修行の身でもありますし、人間に興味をもって勉強をしていることは事実ですが、日常会話で人の心を読むというようなことを勉強しているわけではありません。
     では、なぜ心が読まれているように感じるのでしょうか。これはラベリング効果と言って、相手にある種のラベルを貼ると、その人の行動がそのラベルにそった行動のように思えてしまうのです。有名なのが血液型と性格におけるラベリングです。ある人のことをA型だと思うと、すべての行動がA型らしく見えてしまいます。同じ人のことをB型だと思うと、そういう側面が見えてくるから不思議です。
     コンパに出席している人たちは、彼女や彼氏がほしくて、いつもより熱心に人と話をしていることが多いと思います。それは相手のことを知りたいという情熱の表れです。心理学科の学生というラベルを貼ることで「心を読んでいる行動」のように見えてしまうと、せっかくのラブチャンスも逃してしまうかもしれませんね。自分はそういうラベルを貼って人を見ているのだと自覚した上で、それを破り捨てることが大事です。
    楽しいはずの合コンで心理学科の学生がいるだけで緊張してしまうのではもったいないです。心理学科の学生さん達だからといって身構えることなく、人と人との出会い、恋愛のきっかけとしての合コンを思う存分楽しんでください。心理学科の学生さんたちは、錯覚の研究とか、子どもの発達の研究に詳しいはずです。そういう話題をきっかけにして、色々と話をしてみてはどうでしょうか。
    (回答者:サトウタツヤ)

    Q09.よく当たるという占い師さんに指摘された自分の性格と親友に指摘された自分の性格のどちらかを信じたらよいのでしょうか。
    回答:
     答えは、どちらも「正しい」といえるでしょう。占い師さんが指摘した性格は、あなたがその場で示した情報を手掛かりに占い師さんの知識と経験を踏まえて話されたあなたの性格といえます。また、親友が指摘した性格は、日ごろからあなたを見ていることから総合的に判断して話されたあなたの性格といえます。もし違いがあるとすれば、あなたを見た合計した観察した時間の差だけでしょうか。なぜこのようなことが起こるなか考えてみたいと思います。
      性格とは、先天的に持ってきたものと後天的に獲得したもので構成されています。前者は「気質」といわれており、一生持ち続けることになります。それに対して後者はさまざまな経験をすることによって後天的に獲得されるわけですから刻一刻と変わり続けることになります。このように先天的なものと後天的なもので構成されているのが性格ですから時間の経過とともにいろいろ変わりつづけるのが当たり前なのです。たとえば、自分のことを考えてみて1年前の自分と今の自分は同じではないでしょう。それは、その間に経験したことが自分を変えたといえるのです。
      さらに、人は常に社会に適応しながら生活しています。言い換えれば、人は社会の中で様々な状況に対して適宜適応しているといえます。どんな時でも同じように振舞っているか考えてみると、状況によって自分が普段振舞っているのとは異なった振舞い方しなければならないときがあり、自然とそのように適応している自分に気づくことがあるでしょう。つまり、状況によって振舞い方を変えている自分がいるのです。
      これら2つの要因が絡んでいるわけですから、見る人によって違って見えることは当然なのです。
      ある時点での性格といわれるものは存在しますが、状況によって適切に適応しながら変化している性格があるのです。ですから、あなたを見た人それぞれが異なった人間像を作り上げたり、異なった性格評価をしたりすることは当たり前といえます。
      では占い師さんと親友のどちらを信じたらよいかということですが、心理学者の立場から単純に考えればあなたを見ている時間が長かった親友のほうに軍配を上げるのが自然でしょうか。
    (回答者:浮谷秀一)

    Q10.パーソナリティ心理学って何ですか?どのような方法で研究するんですか?
    回答:
     パーソナリティというのが、そもそも一般にはなじみのないコトバですよね。これは、性格、人柄、人格をあらわすコトバで、心理学の学会の世界では従来「人格」と訳されることが多かったのですが、日本語の「人格」では、「立派な人格者」というように、ある種の価値づけが入りやすく、そういったイメージをなくすために、カタカタでパーソナリティと書かれることが多くなっています。
       日本パーソナリティ心理学会のパーソナリティは、さらにその上、性格といった狭い意味だけで、このコトバを使っているわけではありません。知能や創造性、能力といった性格と異なるひとの側面についても含んでいます。これは、総じて、人間の「個人差」というものであって、「人って、人ぞれぞれ違うよねぇ」という実感に沿った部分を学問的に取り上げていると言ってよいでしょう。メーンストリームの心理学というのは、人間一般にあてはまる法則を科学的に研究するといった学問なのですが、法則を細かに見出していこうとすれば、ある状況にあったとき、「こういう人はこう行動するけれども、ああいった人はこういう行動をするだろう」という「場合分け」が現れてきます。これを「調整変数」と呼びますが、調整変数として「パーソナリティ」を入れて方がより正確なモデルをつくることができるわけです。その場合分けの前提としては、まず個人のパーソナリティが測れなければなりません。それがパーソナリティの測定です。
       パーソナリティ心理学の典型的な研究方法としては、性格などを測定する尺度をつくります。「あなたは、すぐに物事の結論を出したがる方ですか?」といった質問項目に、「よくあてはまる−少しあてはまる−あまりあてはまらない−全くあてはまらない」というような選択肢の自分と最も考えの近いものを選んで回答してもらうことで、その人の個性を捉えます。多くの項目への回答の総計から計算することが普通であり、巷にある「心理テスト」とはかなり異なっています。このような測定を自己報告式の測定尺度と呼んでいます。
       一方で、臨床心理学分野では、もっと作業的な行為−絵を描く、物語をつくるなどによって、その人の個性を把握しようとする間接的な方法をとることもあり、これらを「投影法」による測定と呼んでいます。また、知能検査や発達検査は、動作的な試験項目も多く、標準化されたテストが作成されています。
       実際の行動観察から個人差を見ていく手法もありますが、近年ではさらに、分類課題や反応時間を材料にして、自己報告とは異なって本人が何を測定されているのかがわかりにくい「潜在測定」という方法も開発されています。
       また、計算を行う「量的」な測定だけではなく、個性を把握する方法として、面接してインタビューをしたり、その人の経験や人生を語ってもらうことから、より個別的なその人自身を理解していくという志向性をもった「質的」なデータのとり方、分析・理解のしかたも近年は多くの方法が提唱されて試みられています。書店の心理学の書棚のなかから、性格、パーソナリティ、人生、物語、ナラティブなどのキーワードを探してもらえると興味のある本が見つかるかもしれません。他者の個性を把握するのは、単なる興味本位ではなく、本当にひとりひとりに合った、教育や医療、処遇、社会的制度の運用などに役立つことが目標で行われる行為です。その視点が抜け落ちると、単に他者の内面をのぞき見ようというレベルの低い関心を満足させるところで終わってしまいます。何のために、他者の個性やこころを知りたいと思うのか。まず、その点を自分自身で振り返るところから、パーソナリティの理解が始まるのではないでしょうか。
    (回答者:北村英哉)

    Q11.人から好かれる性格というのはあるのですか?
    回答:
     あるといってよいと思います。一般に,暗い人より明るい人,意地悪な人より優しい人,いい加減な人より誠実な人が好かれる,といったように,好まれる性格があることは確かだと思います。
       ただ,お気づきだと思いまし,お気づきだからこそご質問されたのだと思いますが,現実はそう単純ではありません。
       たとえば,いつでも誠実な対応をされて,かえって窮屈な思いをしたり,実はなにか企んでいる,あるいは下心があるのではないかと疑ったりすることもあるでしょう。
       また,自分が暗いと,脳天気に明るい人はまぶしすぎて付き合うのがしんどいといったこともあり得ます。
       つまり,一般に好かれる性格も,度が過ぎる好かれなくなるかもしれませんし,受け取る人の性格によって好かれる性格も変わるかもしれないのです。
       そのほかにも,「私にだけ優しい人がいい」という言い方があるように,誰に対しても優しい人が好かれるとは限りません。また,「最初の何回かのデートまではすごく優しかったのに,あることをきっかけに別人のように冷たくなってしまった」という言い方に示されるように,少なくともある人にとっては,時間の経過や特定の出来事によって,相手の性格が変わってしまうこともあります。
     このように,人から好かれる性格があるとはいえ,例外や前提条件がいくつもあります。
     さらには,性格以外にも人から好かれる要因がいくつもあることが知られています。
     まず第一に,外見あるいは容姿です。「人を見た目で判断してはいけない」と言われますが,逆にこれは,いかに人が見た目で判断しているかを示しているとも言えます。外見といっても,顔がいいかどうか,だけでなく,表情,スタイル,服装,視線,しぐさなども関係します。
     第二に,どのくらい身近にいるか,あるいはよく顔を合わせているか,といった物理的距離の近さも重要です。職場結婚が多かったり,遠距離恋愛が長く続かないことが多かったりするのは,この要因が大きいものと考えられます。
     第三に,知り合ってからある程度時間が経過したあと,どのくらいプライベートなことを打ち明けられるかといったことも重要な要因として知られています。知り合ってから時間がたつのによそよそしい感じを与えると,好かれないことになりがちだということです。
     第四に,好意を示してくる相手を好きになるということも知られています。
     いずれも例外がありますし,相手との関係性によって,どのくらいのタイミングでどの程度プライベートな話をすれば好かれるか,あるいは,どの程度好意を示せば好かれるか,などは変わってきますが,人から好かれるための要因が性格以外にずいぶんたくさんあることがおわかりになると思います。
     ですから,もしも,人から好かれるような性格になりたい,と思われるなら,まずは,性格以外の側面に目を向けてみること,それから,万人から好かれたいのか,特定の誰かから好かれたいのかを振り返ったうえで,どういう性格を自分の理想とするのか考えてみましょう。それでも性格は変わらないかもしれませんが,特定の出来事や環境の変化を利用してひょっとするとうまく変えられるかもしれません。

    (回答者:尾見康博)

    Q12.子どもがテレビゲームやインターネットなどの電子メディアに没頭していると、子どものパーソナリティ発達に悪影響があるのではないかと心配する人がいますが、そうした悪影響は本当なのでしょうか? 心理学における見方を教えて下さい。
    回答:
     テレビゲームやインターネットなどの電子メディアは、子どもの世界に広く浸透しており、それが子どものパーソナリティ発達に及ぼす悪影響の問題は、世間 からたびたび注目され、ジャーナリズムなどでも盛んに取り上げられてきました。電子メディア使用によって、子どもの攻撃性が高まる可能性や、社会性が低まる 可能性は、とくに注目を浴びてきたものに思われます。
     攻撃性の高まりは、とくに電子メディアにおける暴力シーンに触れることによって起こることが懸念されてきました。この問題については、古くから心理学の研究 が行われてきましたが、近年では、確かにそうした悪影響はあるとする主張が優勢となっているように思われます。ただし、悪影響があるとしても、一人一人 に対する平均的な影響の量はそれほど大きいとは言えず、また、悪影響が生起するには、さまざまな条件があるとされています。例えば、暴力シーンで描かれて いる暴力が美化されているときに悪影響は強くなる、もともと攻撃性の高い子どもで悪影響が強くなる、一方、周囲にいる大人が暴力シーンの暴力に対して否定 的であると悪影響が低減することなどが指摘されています。
     社会性の低下に対する心配は、一つには、子どもが電子メディアに対して没入するあまり、生身の他者との付き合いをしなくなり、そこで学ばれるべき他者と の付き合い方や人間関係の意味を知り得なくなるという可能性から生じてきたことと思われます。しかしながら、これまでの研究の結果は、こうした社会性の低 下をあまり支持してはおらず、電子メディア使用によって社会性が低下するというよりも、もともと社会性が低い子どもが電子メディアに没頭するようになると いう逆方向の関係のほうが妥当であるとする指摘が見られます。また、インターネットやケータイの使用は、むしろ社会性を向上させるとする知見も見られています。
     以上のように、電子メディアに触れることによって、子どものパーソナリティ発達に悪影響があるかどうかと言えば、攻撃性に対するもののように、確かに悪影響がある場合はあると見られます。攻撃性の他にも、共感性、創造性、抑うつ傾向などで、メディア使用による悪影響を示唆する研究結果が得られる場合があ ります。しかしながら、こうした悪影響は、必ずしも広く見られることではなく、パーソナリティの特定の側面について、特定の条件の下のみで起こりうるものと考えられます。
     これまで、電子メディアがパーソナリティの発達に及ぼす悪影響の問題は、子どもによる凶悪犯罪の発生などを契機として、たびたび社会的な注目を浴び、ジャーナリズムなどで盛んに議論されてきました。そこでは、電子メディアの悪影響問題は、その多様性が捨象され、やや単純化して扱われることもあったように思われますが、心理学の研究動向からは、これはかなりの細分化や詳細さが必要な問題と言えます。

    (回答者:坂元章)

    Q13.自分をよく知りたくて心理テストなどをよくやります。結果が当たっていると思うときと、当たっていないと思うときがあります。心理テストは当たるのですか?
    回答:
     心理テストは、ある特定の状況や日常的な被験者の心理的状況について、あらかじめ定められた課題を解いたり、標準化された質問への回答から調べようとするものです。そのため、心理テストには主に次の二つの条件を持たすことが求められます。信頼性として、同様の心理的状態にある被験者に対して得点が安定していること。妥当性として、心理テストで調べようとしている現在や将来の被験者の状態に応じて得点が反映されること。これに加え、効率性として、できるだけ短い実施時間や、被験者への少ない負担で、少しでも多くの情報が得られることが求められます。これらの条件を満たしていない心理テストの結果は保証されません。
     心理テストの結果が、「当たっている」と感じる場合は、実際に心理テストが妥当な結果を示した場合と、心理テストの妥当性とは無関係に自分が期待する結果を示した場合もあります。「当たっていない」と感じる場合には、心理テストの妥当性が低く誤った結果を示した場合と、心理検査の結果は妥当でも自分が意に沿わない結果を示し結果を受け容れがたいと感じた場合があります。ここでは心理テストの妥当性の観点から回答します。
     心理テストが正しい結果を示すために、標準化という手続きが行われます。心理テストの問題や質問は、テストを受ける人の日常の生活や勉強・仕事に即したものが配置されます。そのため時代とともに内容がそぐわなくなることもしばしばです。数十年前に標準化された心理テストは陳腐化して結果が正しくないことがあります。また、標準化の対象となった被験者の年齢・性別・国籍・学歴や職歴などが特定の対象となっていたり心理テストを受けた人と大きく異なる場合も正しい結果を示しません。学童用の心理テストを大人が受けたり、30年前に出版された職業興味テストを受けたりしたなどといった場合には、正しい結果が得られません。そのため心理テストもたびたび改訂が行われますし、外国の心理テストの日本版を作成する場合には文化差に配慮して標準化が行われます。
     心理テストが正しい結果を示すかどうか判断するためには、1)標準化の対象となった被験者の属性に自分も含まれているか、2)標準化されてから年月があまりにも経過していないか、3)古くからある心理テストでは改訂や再標準化がきちんと行われているか、4)その心理テストで調べようとしている内容と実際の状況との比較が標準化の過程で行われているかなどに注意してください。これらの情報は、心理テストの手引きやマニュアルに明記しなければならないことになっていますので参照してみるといいでしょう。これらは、最初に述べた心理テストの信頼性と妥当性に関する重要な情報です。また実施時間や所要時間も効率性に関する大切な情報です。これらの情報が手引きやマニュアルに記載されていなかったり、きちんとした手引きやマニュアルの用意されていない心理テストは、占いと同じように考えた方がいいでしょう。
     
    (回答者:松田浩平)

  •  
    Homeへ戻る 前のページへ戻る
    Copyright 日本パーソナリティ心理学会