若手研究者研究紹介30:
樫原 潤(東京大学大学院教育学研究科・日本学術振興会特別研究員)

 

 第30回は,若手研究者の樫原 潤先生にご自身の研究をご紹介いただきます。樫原先生は現在,東京大学大学院教育学研究科に所属され,うつ病罹患者に対するスティグマ的信念についてご研究されています。ここでは,研究を始めたきっかけや研究の具体的な内容,今後の展望についてご説明いただきました。


うつ病罹患者に対するスティグマ的信念とその低減方法の検討

東京大学大学院教育学研究科
日本学術振興会特別研究員DC
樫原 潤

現在の研究を始めたきっかけ
 私は,学部時代に社会心理学を専攻し,大学院進学のときに臨床心理学に専攻を変更するという経歴をたどってきました。そうした経歴を生かし,「臨床心理学の研究や実践でよく指摘される問題について,社会心理学の観点や技術を使って検討してみる」ということを研究のスタンスとしています。
 現在の研究を始めた直接のきっかけとしては,大学院進学後に研究科附属の相談室や病院で心理援助の実践をやる中で,うつ病になった人と実際に関わった経験が大きいです。「治療を受けることに抵抗があった,周りにどう思われるか不安だった」という訴えを耳にする中で,「どうすればうつ病になった人が受診や相談の決断をしやすくなるか」という関心を抱くようになりました。そうした関心の中で「うつ病罹患者に対するスティグマ」の研究が臨床心理学分野にあることを知ったのですが,論文を読み進めてみると,社会心理学の観点や技術から開拓できそうと思える余地がたくさん見つかって驚きました。これはトライしがいのあるテーマかもしれない,と思い自分で研究してみることにしました。

うつ病罹患者に対するスティグマとは?
 スティグマとは,特定の集団についてネガティブな印象・信念をもち,ステレオタイプ的な理解を行って,差別的な行動を取ってしまう,という一連のプロセスを指す概念です。このプロセスのうち,うつ病の分野で焦点が当てられてきたのははじめの「信念(偏見)」の部分で,罹患者に対して一般の人々が抱くスティグマ的な信念をどのように低減できるか,という検討がなされてきました。先行研究では,質問紙尺度による測定や効果評価に基づき,うつ病の症状や原因について,文書などを用いた知識啓発を行うことでスティグマ的信念が低減する,ということが示されてきました。

現在までの研究成果
 うつ病罹患者に対するスティグマ的信念に関わる研究を新たに行うため,まずは先行研究のレビューを入念に行いました(末尾の研究業績[1])。その結果,先行研究の問題点として,第一に,従来の測定尺度の妥当性が疑わしいということが示されました。従来の研究では,統合失調症のスティグマ研究と同様に,質問紙尺度を用いて「うつ病の人のことをどの程度『危険だ(暴力的だ)』と思うか」といった内容を測定していました。しかし,気分の落ち込みなどが主症状となるうつ病罹患者について「危険だ(暴力的だ)」と思うことがそもそも有り得るのか,という議論は先行研究で見過ごされていました。第二の問題として,「知識啓発によってうつ病罹患者に対するスティグマ的信念は低減する」という知見を示した先行研究は,いずれも自己報告の質問紙尺度のみを用いた効果評価を行うにとどまっている,ということが示されました。スティグマのようなテーマでは,社会的望ましさバイアスが自己報告の質問紙による結果に影響する疑いも大いにあるため,他の観点に基づく尺度も用いての知識啓発の効果を慎重に評価する必要があると考えました。
 こうしたレビューを踏まえた上で,①うつ病罹患者を「危険」とみなす傾向はそもそも存在するといえるのか,②知識啓発の効果は,質問紙以外の尺度においても確認されるのか,という2点を検討しました(末尾の研究業績[2])。これらの点について,質問紙尺度に加えて潜在連合テスト(Implicit Association Test)と呼ばれる潜在尺度を用い,「実験課題の中で,『うつ病』という概念に『危険』という評価を結びつける反応をどの程度行うか」といった観点からの測定を行いました。まず,知識啓発の文書を提示する前に収集したデータを分析すると,「うつ病」を「危険」とみなす反応は,質問紙尺度と潜在連合テストの両方で確認されなかった,という結果が得られました(上記①に対応)。次に,知識啓発の文書を提示した後のデータも含めて分析を行うと,知識啓発の効果は質問紙尺度のみで確認され,潜在連合テスト上では「危険」やその他のスティグマ的信念の値の減少は確認されなかった,という結果が得られました(上記②に対応)。これらの結果から,うつ病罹患者に対するスティグマ的信念として「危険」という内容は想定しがたい,知識啓発によるスティグマ的信念の低減効果は,質問紙以外の尺度によっても再現されるほど頑健なものではない,といった考察を示しました。

研究の特色・意義
 これまでの研究成果は,もしかすると人によっては「当たり前」「ありがちな結果」と思えるものかもしれません。構成概念の定義をまずしっかり行うべき,というのは心理学研究の基本ですし,「偏見や差別といった問題は,知識をもっただけで簡単に解消するものではない」ということは,黒人差別などの研究で盛んに指摘されてきたことのように思います。
 しかし,臨床心理学などの分野では,「知識啓発などのプログラムを実施して,実際のコミュニティからデータを取る」といった応用的価値に比重が偏りがちで,アカデミックな色彩の濃い分野で「当たり前」とされている知見さえ見過ごされていることも多々あるように思います。私のこれまでの研究になんらかの価値・面白みがあるとするならば,そうした「応用的な分野」と「アカデミックな分野」のギャップを埋めようとしている,という点になるのかなと考えています。

今後の展望
 うつ病罹患者に対するスティグマ的信念というテーマに関しては,まだまだ未開拓な部分が多く残っています。まずは,これまでの研究成果を受けて,うつ病罹患者に対しては「危険」ではなくどのような内容のスティグマ的信念が抱かれているのか,知識啓発に代わってどのような手段を用いてスティグマ的信念の低減を図っていくべきか,ということを示す必要があるでしょう。その辺りについて,様々な工夫をしつつ研究を進めているのですが,現在投稿中・収集中のデータを含むので,詳細は割愛します。
 もっと先を見据えた話をするならば,スティグマ的信念の低減という点だけにこだわらず,「うつ病罹患者とどう接したらよいか」といったスキル的な側面についても検討を行うなど,うつ病罹患者の社会的受容につながる研究を手広くやっていきたいと思います。また,そうした挑戦を続ける中で,「ステレオタイプ」「社会的受容・排斥」といった社会心理学の理論の発展にも貢献するような知見を示していけたらと考えています。これまでの経歴もあってか,研究者として「応用的な価値」と「学問的な価値」のどちらも大事にしたいという意志があるので,今後もガムシャラに二兎を追いかけ続けたいと思います。

最後に一言
 応用的な価値と学問的な価値を兼ね備えた研究をしたい,とは言うものの,やはり個人で成せることには限りがあると考えています。様々な専門性をもった方々との議論はこれまで以上に大事にしていきたいと思いますので,私の研究に興味を持たれた方は,ぜひ学会や研究会でお声掛けください。また,今後は近い興味をお持ちの方々と協力してたくさんの研究をしていきたいと考えています。共同研究についても,ぜひお気軽にご相談ください。
 最後に,このような貴重な機会を与えてくださった日本パーソナリティ心理学会の皆様,この企画についてご尽力いただいた広報委員の古村健太郎様,ならびに,拙文を最後まで読んでくださった皆様に,厚く御礼申し上げます。

研究業績
[1] 樫原潤・河合輝久・梅垣佑介 (2014). うつ病罹患者に対するスティグマ的態度の現状と課題―潜在尺度の利用可能性への着目― 心理学評論, 57(4), 455-471.
[2] Kashihara, J. (2015). Examination of stigmatizing beliefs about depression and stigma-reduction effects of education by using implicit measures. Psychological Reports, 116(2), 337-362. doi: 10.2466/15.PR0.116k20w9




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