インタビュー企画1:杉山理事長(前半)

 第一回は、特別に、理事長の杉山先生にお願いし、いろいろお伺いしたいと思っています。理事長としてのパブリックなご意見と、私的にお考えのこととがあると思いますが、今回は理事長としての立場だけではなく、一人の研究者としてのご意見やヴィジョンを伺えればなあと思っております。


―――さて、今現在、たくさんの学会があり、各学会の個性が見えにくくなっていると思います。そこで、お伺いしたいのですが、日本パーソナリティ心理学会のオリジナリティの部分、他の学会とは違うところはどんなところだと思いますか?

杉山:シンポジウムや発表を見ているとダブっているものが多いので、差異性を強調するのは難しいんですが、4つぐらいの点を指摘できると思います。

■ クロスロードとしてのパーソナリティ心理学

 まず1点に、パーソナリティ心理学というのは、心理学研究のクロスロード(十字路、交差点)に位置しているということが挙げられると思います。パーソナリティとか個人差とか多様性が関わらない心理学はないでしょう。そういう意味で言えば、論点が拡散しがちだというのがあるんでしょうけど・・・。今、叢書の企画を進めているんですよ。シリーズで、「クロスロード パーソナリティ」で、10冊くらいが執筆中で、今年度の大会までには1、2冊はだそうと考えています。「パーソナリティは、せまく性格だけをあらわすのではなく、個人と社会、生命と文化などを橋渡しする広くて柔軟な心理学的概念と位置づけている。「クロスロード」とは、交差点・集落を意味して、そこでひとしきりコミュニケーションがなされ、あらたな文化を生み出す集落だ」というのが、出版の趣意書なんですけどね。

■ 個人差・多様性の尊重

 2番目は、パーソナリティ研究の最終的な目的には、個人差とか、多様性は、一人ひとりの違いを認めた上で、各自のQOLを高めるとか、幸せな生活を実現することにあるだろう。あるいは、そのなかで自分の考えを相手に伝えて、同時に相手の意見も聞くという双方向コミュニケーションのようなものを考えています。そうすると、あえて言えば、パーソナリティの教育・研究は、大学の教養教育というか共通総合教育の柱だと思うんですよね。多様性を知る、一人ひとりの違いを認めた上で、お互いが自分の選んだ道に行こうって言う・・・。
 特に東洋大学は社会心理学科でしょ。もし、社会心理学のスタンスとすればそれはどちらかといえば社会変数・状況変数を扱っているわけで、それを前提としても良いけれども、それに個人差変数をどうやって入れて、どういうふうに分析していくのか、それの分析レベルや媒介・調整変数としての扱いなど、多様なパーソナリティ変数のイメージを持っています。

■ 人間の統合的理解・把握

 これまでにあげた2つは、パーソナリティ固有のというよりも、心理学全般の共通テーマとして拡散してしまうとも思うんですよね。逆に、拡散しないポイントをあげれば、人間の統合的理解・把握というのが、パーソナリティ研究が持っている歴史的な固有の視点かなぁと思うんです。それはパーソナリティという本をだしたGordon Allport以来の伝統だと思うんですよね。人文・自然・社会などの学問領域があって、それが人間科学(human Sciences)になって、そこで、総合的・統合的にみるということができているかというと必ずしもできていない。そういう意味では、今それができているって言うんじゃなくて、いわば統合の方向性を出すというのが、パーソナリティ心理学者の一つの役割だと思っています。具体的に、どうしたら良いかというと、今いろいろありますが、例えば、McAdamsのモデル(2006)では、ビッグファイブが一番上だけど、その下に認知心理学の構成概念があって、さらにその下に、文脈がらみのナラティヴのようなレベル、といった3つの段階を想定している。このような形での、パーソナリティ諸理論の体系化や統合理論を作るのが楽しみですね。
 このように、近年の認知心理学などの研究成果を取り入れつつも、統合的に人を捉えて、マトリックスを作り、自分の研究成果の位置づけを明らかにするというのが、パーソナリティ研究のオリジナルの部分かなと思います。

■ 社会貢献の一環としての素朴理論への啓蒙

 もう一つ言いたいのは、素朴理論や素人理論に対して、学問研究や科学的人間研究を伝える。素朴理論から、科学的人間理解に、橋渡しするというのも、心理学の役割かなと思います。昔、大学の役割として、研究・教育の順番でしたが、今は、教育・研究の順で、そのあと社会貢献がきますよね。そういう意味で、素朴なパーソナリティ観への啓蒙はパーソナリティ心理学者の役割だなと思います。ただこれには、1つには、科学哲学などの理解が前提で、何が疑似科学・素人理論で、何が正統な学問なのかについては議論があると思います。2つには、性格は、能力などと違って、学校教育場面でのフィードバックが余り成されないとか正確でないなどの問題もあり、素人理論と科学理論の仕分けは、感覚的にも、現実的にも、難しい部分があると思っています。

―――なるほど。たしかに「性格」というのは素人理論の多い概念ですね。「知覚」とか「認知」、「社会」は日常会話にあまり言葉として出てきませんけど、「性格」についてはよく日常会話に出てきます。それは、パーソナリティ心理学の専門家でなくてもそれぞれ「性格観」を持っていることを意味していると思いますし、その意味でパーソナリティ心理学が、疑似科学・素人理論と向き合わねばならないというのは、ある種必然性があるんでしょうね。

   どこかでなんらかのかたちで、社会との接点はあるわけだから、学会として、パーソナリティ研究者個人として何らかのスタンスが必要だと思います。

―――そうですね。10年前まで学会は、社会から離れて、学問的真実を追究していればよかったわけですが、最近の風潮で言うと、学会として社会の中で発言していくということが求められていますし、多くの他の学会は手をつけていないことのひとつかもしれません。

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