インタビュー企画3:荘島幸子(前半)

 第三回は,女性の若手研究者として,荘島幸子さんにインタビューしたいと思います。荘島さんは,現在日本学術振興会特別研究員で,京都大学(教育学研究科)に在籍中です。研究者に至るまでの歩みや,ご自身の研究,また,日本パーソナリティ心理学会に関する思い出などについて伺いたいと思います。

■ 略歴 〜これまでの歩み〜

―――これまでの略歴,現在までの研究歴を簡単にお願いします。

 高校の時に,カウンセリングに興味を持って,学部時代から心理学を学んできました。学部は中央大学です。3年のゼミから臨床心理学を専攻して,それから臨床心理士になるまで学部3年から臨床心理学を専攻して,大学院受験をするときに京都にはるばる飛んできました。立命館大学応用人間科学研究科で,臨床心理士になるための基礎知識と訓練を受けました。そこから,私の人生設計では東京に戻ってきてカウンセラーになる予定だったのですが,ちょっと違う方向へ進んでしまいました。
 立命館を出たあとにですね,京都大学の修士課程に入り直します。ダブルマスターってやつですね。全然自慢になりませんけど。それから,京都大学のやまだようこ先生のもとで研究を続けています。
 やまだ先生は,人生についての語り,物語の研究者として著名な先生で,私もこれまで自分流でやってきたインタビューや語り研究をもう一度ちゃんとやり直したいなと思ってここまで来ています。

■ 起点 〜出会い〜

 実は,卒業論文では不登校経験者にインタビューをして,思春期不登校児の自己の形成と友人関係についてまとめたのですが,そこで出会った一人の当事者さんとの出会いが私の人生を大きく変えています。
 はじめ,不登校についてインタビューを数回行ったのですが,卒業論文提出目前になって,その人から「ぼく,性同一性障害なんだ。だから,今まではなしたこと,全部うそかもしれない」って言われちゃったんです。目の前の女の子にそうやって突然告白されちゃったのです。とりあえず,卒業論文は出しちゃったんですが,その子との出会い,そして,告白を受けてから,私の中で切り離せない何かができてしまったように思います。

―――なるほど。ひとつの出会いが人生に大きく影響を与えていたわけですね。そこから始まった現在の研究のテーマや現在の取り組みについても詳しく聞かせてください。

■ 研究 〜これまでの活動〜

 研究は,性同一性障害者と言われる人たちにインタビューをし,その人たちの語りや人生の物語を分析してきました。性同一性障害とは,自分の性自認と身体が不一致であって,それに生き難さを感じている人たちのことです。性同一性障害というのはDSM-IVにも記載されている精神疾患(Mental Disorder)ということになっていますが,身体も心も特に異常があるというわけではないんですよ。もちろん,生き難さゆえに,うつ状態を併発している人たちもいたり,他の病いから性別に違和感を感じたりすることもあって,人それぞれですが。
 卒業論文で出会い,告白を受けたあの子に,数年間にわたって縦断的にインタビューを行ったものがいくつか論文になっています。相互行為的な語りに着目したものもあれば,物語の意味を積極的に読み解いていこうとするものもあって,自分の中では,その人の経験に近づくために試行錯誤しています。
 それから,語りを聴いているうちに,どうもうまく語りになりきれない語りがあったり,矛盾していたり,混沌している語りもあって,そういう部分に焦点化して方法論の整備を行ったりもしました。
 あとは,当事者のご家族(母親が多いですが)や,パートナーさんにもインタビューをお願いして,性別を移行していくプロセスに他者がどう関わり,どう意味付け,いかに物語るのかということにも関心をもって調査,研究しています。

  ―――なるほど。出会いから6年,ずっと同じ人に継続してインタビューをとりながら,様々な試行錯誤を繰り返してこられた。そして,最近では当事者だけでなく周囲の人々にも焦点を当てて研究しておられる,というわけですね。

■ 自戒 〜語りから“はみ出てしまう”もの〜

 河合隼雄先生の『とりかえばや,男と女』という本がありますが,それによれば,日本でも昔は,男の人が女の格好をしたりすることが社会的に許容されてきたんです。でも,あるときから,それがタブーになる(これ,同性愛なんかもそうです)。そのあと,1996年になってようやく,性同一性障害という障害として,性別を移行する生き方が,認められたんです。でも,やっぱりそれは医学の世界の話なんですよね。
 何が言いたいかというと,目の前の相手が「性同一性障害者」としてしか捉えられないということです。つまり,「性同一性障害」という診断を持った患者という前提から逃げられない。診断は厳格なもので,それは体に非可逆的な作用を及ぼすホルモン治療だとか,性別適合手術(胸を除去したり,膣を埋めてペニスを作ったりする。逆もある。)をするためには,本当にその人が「性同一性障害者」かどうか判定しなくちゃいけないからです。これは当然なことで,安易に治療を進めてはいけません。

 でも,人間には揺らぎというものがあります。いつもいつも性別や身体に強烈な違和感を感じているというわけではないんです。身体の感覚だとか性自認というのは,実体としてその人の内部にあるのではなくて,極めて心理的であったり,社会的であったりするもんなんです。今風にいえば,「個人や社会によって構成される」といってもいいかもしれません。ただ,このあたりは,私も長年当事者の人たちと付き合ってきてみて,ようやく実感としてわかるようになってきたところです。当事者さんたちの語りも,長く聞かせてもらっているうちに,揺らいだり,変わったり,前に戻ったりするんですよね。でも,そういう語りって,私が医者で診断を下す人だったら,聞くことはなかったかもしれない。だから,聞き手と語り手の関係によって,ずいぶん語りが変わりますね。彼らも巧みに変えています(意識的か,無意識的かはわからないんだけど)。そこはとっても面白いし,面白いだけではなくて,医療のドミナントストーリーや,世間が思っている「性同一性障害者」像を変えていく力もあると思っています。

 えっとですね,だから何が言いたいのかというと,私は,当事者の人たちを,「性同一性障害」っていう障害という枠組みだけでは捉えたくないということです。もっと,彼らの生/性の在り様を全体的に捉えたいです。質的研究者が言いそうなことって思いました? 私は質的研究者ということになると思いますけど,いくら,当事者の語りだ!意味だ!といっても,結局のところ語る人をラベリングしてしまうような研究はしちゃいけないよなぁ…と最近痛感しています。質的研究は,個人の主観性や意味,内的世界の把握することを得意としてますが,それを知るための手段として用いられる語り,ナラティヴにはいつも,そこからはみ出てしまう何かがあるんだと。漠然としていますね,すいません。そこからはみ出すもの,余剰の部分が,人を変えていくし,私も変わっていくし,関係の変容の契機になるのかもしれない(個人,社会,世間とかマクロな関係性も)。そんな風に感じています。

―――語りえないこと,語りからこぼれ落ちてしまうもの,も大事にしたいし,その部分に非常に重要性を感じる,というわけですね。

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