(ポール・ブルーム (著), 高橋 洋 (訳),2018年,白揚社)
目次
はじめに
第1章 他者の立場に身を置く
第2章 共感を解剖する
第3章 善きことをなす
幕間Ⅰ 共感に基づく公共政策
第4章 プライベートな領域
幕間Ⅱ 道徳基盤としての共感
第5章 暴力と残虐性
第6章 理性の時代
著者のポール・ブルームは,イエール大学の心理学者であり,道徳心理学の世界的権威である。彼の研究テーマとして,道徳性以外には,人間の本質主義,先入観などがある。本書のタイトルを一見すると過激で荒っぽい印象を受ける。しかし本書は,共感によって歪められた道徳的な判断や行動,共感による社会状況の悪化や対人関係の悪影響について,様々な研究や社会情勢の事例を踏まえて,丁寧に解説された良書である。共感はいくつか種類があるが,本書での批判の的は,「情緒的共感」である。これは他者が感じている心の気持ちや状態を自分にも自動的かつ無意識的に感じる共感である。一方で他者が感じている気持ちには影響されないで,心の状態を的確に理解できる「認知的共感」とは,区別している。本書は6つの章と2つの幕間から構成されており,各章では,道徳性,思いやり,公正さ,暴力・残虐性,理性などと共感を比較し,共感の効果や影響について議論が展開されている。
第1章では,「共感な絶対的な善である」という前提に対し,包括的な批判が展開されている。この他,共感の本質や,共感と道徳性・思いやり・親切心との関係について,導入的な解説がされている。それ以降の章では,1章で解説された話の専門的な議論と,「共感は悪である」という指摘が続く。
第2章では,ミラーニューロンや多次元共感性などの研究を踏まえて,共感の神経科学的知見や共感の種類について紹介されている。また共感による行動も紹介されおり,共感は個人的な文脈や先入観に囚われるため,共感が公正公平かつ合理的で道徳的な判断を導くわけではないと著者の主張が展開されている。
第3章では,共感によって生じる数的感覚の欠如やバイアスについて論じられている。他者の苦悩に対する共感は,多数の苦難よりも優先して,自己と関連した少数の苦難を気遣う傾向があり,またそれにより焦点や視野が狭く限定的になり,内集団バイアスなどの様々なバイアスから影響を受けやすくなる特徴がある。このような共感の性質や特徴について,事例や研究を挙げて,解説されている。さらに著者は,こういった共感の行動が,公正公平で合理的な意思決定が求められる慈善活動,国の支援活動などにおいても,見受けられ社会状況の悪化を招いているとして共感の弱点を説いている。
第4章では,対人関係の場面での共感や思いやりについて論じられている。ここでは,他者の苦悩を敏感かつ過剰に共感してしまう(過度の共同性の)人々を例に,このような過剰になった共感を,他者の苦しみに依存し,親切な行動を動機づける性質と位置づけている。一方,思いやりは,他者の苦しみを共有せずに,親切な行動を動機づける性質と位置づけられている。また仏教理論や僧侶を対象にした研究を踏まえて,共感より思いやりを抱くことが,効率的な他者援助へと導く要因として解説されている。著者は,セラピストや医者など他者の共感を生業としている人々に対し助言も残しており,患者の苦しみが,自分でも経験したことのある苦しみなら,その苦悩をたった今,共感を起こして行動するよりも,経験をもとに,(他者の苦しみに影響されず)冷静に苦しみを理解して行動を起こす方が,共感における恩恵を受け,さらに共感における悪い効果も回避できるとしている。
第5章では,「共感は善」なら「共感の欠如は悪」であるという前提をもとに,「共感の欠如が暴力を生む」という見方に対して批判的な議論が展開されている。共感力が低いとされているサイコパスに対し,「情緒的共感」が低い反面,優れた「認知的共感」を備えた存在であると解説されている。サイコパスの暴力と残虐性は,共感の欠如によるものではなく,反社会的行動や衝動性といった他の要因にあると解説されている。その他にも,道徳性,非人間化や怒りにおける暴力や残虐性について論じられている。この章,全体を通して,人の暴力と残虐性の要因は,必ずしも「共感の欠如」ではないとして議論が展開されている。
第6章では,「人は,共感やバイアスに影響を受けても,理性的な存在であるのか?」というテーマについて議論が展開されている。ここで著者は,理性の意味について,神経科学や心理学の研究をもとに議論し,人の理性的な行動の重要性を説いている。さらに理性の要因として「知性と知性による他者を理解する力」「自制心」を挙げている。しかし,高い理性を持ってしても,合理的に働かせることが難しい。その理由として,自分自身に直接影響を受けない政治や問題などには,人は理性を働かそうとはしなくなる例が挙げられている。そういった中で,我々がどのように理性を働かせばいいのか?総括的に助言してくれている。
本書の全体を通して,共感に対する批判的な議論は,緻密で抜け目のない論理で構成されている。内容は,道徳的な行動を基準に「共感が悪で,思いやりが善である」という立ち位置で展開されている。特に第4章の思いやりと仏教理論の説明では,この立ち位置がより明確になり,内容も非常に興味深かった。著者は,共感に対し,一貫して反対の立場ではあったが,共感による行動や判断が,全て悪ではないことも各所で認めている。つまり道徳的な判断が必要な場面では,トータルで考えた場合,「共感は悪」だということだ。また道徳的な判断が必要ない場面では,他者の喜びを共有することでその喜びが増幅するように,共感は喜びの大きな根源になる。本書の紹介では,各章の内容を簡単に要約したが,紹介しきれていないテーマ,研究や事例がたくさんある。共感以外には,道徳性,利他主義―功利主義や怒り感情などのテーマも存在し,それぞれ丁寧に議論されている。道徳性,共感,援助行動や社会心理学に興味がある方は,ぜひ読むべき1冊である。ただし,紹介されている事例の中には,見慣れない欧米の時事ネタや,少しマイナーな映画も数点あり,このあたりは自分で軽く調べる必要があるだろう。また共感の文化差については,触れていないので注意したい。
本書を読み終えた後,今の情報化社会における共感の影響について考えた。一昔前までは,新聞,ラジオやテレビだけで情報をやりくりしていた時代もあった。ここ20~30年で,その情報網は様変わりした。今ではスマートフォンが普及し,SNSが発達し,手軽に多量な情報が入るようになった。また少数の声が世界中に簡単に発信でき,またこれらの情報に対して我々は反応しやすくなった。本書で指摘された通り,共感が「多数の苦悩よりも少数の苦悩に関心をよせる」という性質を持ち,なおかつ合理的で道徳的な判断を動機づけないのだとすれば,今の情報化社会においては,共感の力が強まってきているといえるのではないだろうか。私は(共感以外に様々な要因があると思うが),災害時に援助依頼の誤情報がSNSを通して蔓延し,被災地に過剰に物資が届いたという事件を思い出した。このような時代で,我々はしっかりと情報を吟味し,道徳性を基準に理性を働かせ,正しい判断をしなければならないだろう。こういった現代の問題に対する手引き書としても,本書は大いに役に立つだろう。
(文責:西川一二)
※図書紹介の執筆にあたり,(株)白揚社のご協力を賜りました。ここに厚く御礼申し上げます。
(2019/2/1)