(増田 直紀 (著) 2019年,中央公論新社)
目次
第1章 海外の大学で働く?
第2章 海外PIになるには
第3章 17人に聞いた就活事情
第4章 海外の大学での仕事
第5章 大学教員生活のお国事情
終章 それぞれの道
近年,海外の最新理論の翻訳や英語論文執筆,心理統計,分析ソフトの使用方法に至るまで,心理学者の研究を支える情報に関する著書の増加はめざましく,本学会の過去の図書紹介においても多く取り上げられてきた。しかしながら,そうした著書に比して,多くの会員が直面するであろう就職活動や大学勤務の実態について体系的に記されたものは限られているように思われる。特に,研究や研究者の国際的な往来が進む昨今にあっても,海外での研究職や就職活動の実態について記された著書はほとんどみあたらない。本書は,研究職をめざした就職活動,特に海外での研究職への就職について,以下に示すように非常に有益な情報を多く含んでいる。
本書は,全5章ならびに終章から構成されている。第1章では,今日の日本の大学における教員の多忙な勤務や研究資源の不足に触れつつ,日本における研究者の就職活動が「平穏」に行われている実態が鋭く指摘されている。そのうえで,海外の大学において国際的な人材確保が進んでいることにも言及し,海外で研究者になるということを1つの選択肢として提示している。
第2章では,海外でPI(Principal Investigator: 研究室主宰者)就職を目標とした場合に行われる就職活動について,必要な書類や研究業績,面接での留意点などといった具体的事項について記されている。また,著者自身の海外での就職活動の経験について記されている。第3章では,著者と同様に海外で勤務する日本人研究者17名に対して行った,海外の就活事情に関するインタビューが記されている。
第4章では,海外の研究職の実態について,著者の経験をもとに記されている。その内容は,授業負担や研究費獲得から海外のティータイム文化に至るまで多岐にわたる。第5章では,各国の研究者としての勤務の実態について,日本人研究者に対して行われたインタビューが記されている。
終章では,本書の目的と内容が再整理され,結論が記されている。さらに,著者自身が本書の執筆を通して自身やキャリアについて再考し,さらなる異動という決断に至った経緯が記されている。
ここまで,本章の概要について説明してきた。本書の最大の特徴は,海外でのPI就職をめざすうえで必要な準備や方略が体系的に示されている点であろう。冒頭でも述べた通り,研究職への就職活動に関するノウハウは必ずしも開かれてはおらず,どのように就職活動を行うかは個人に委ねられる側面が強いように思われる。こうしたなか,本書は海外での就職活動,さらには就職後の勤務の実態に至るまで体系的に記された貴重な資料としての価値が大きいものといえる。
第二に,著者自身をはじめ海外で活躍する研究者の体験談が豊富である点も本書の大きな特徴である。大学運営や研究者の採用基準,就職活動のあり方は国によって大きく異なるうえ,就職活動や勤務に対する価値観も人それぞれであろう。本書では,海外就職に関する情報や意見の多様性と客観性を担保するために,17名もの日本人研究者に対するインタビューが綴られている。彼らは,専門領域や居住国のみならず,国際的背景や海外での就職に至った経緯も多様である。著者を含め,本書に登場する研究者それぞれが研究・キャリアに関する決断を重ねてきたことが本書の各所に垣間見える。多くの研究者に対するインタビューを通して多様な情報を得られることは本書の重要な価値であるが,それと同時に彼らの半生や彼らの研究や勤務を支える信念や情熱に触れること自体も,読者が研究者としてのキャリアを考えるうえで大きな示唆があると考えられる。
本書は必ずしも心理学に特化したものではないが,以下に記すように,本書は本学会の多くの会員にとって有用なものと断言できる。第一に,本書の最大のターゲットと想定される海外での就職や研究展開をめざす研究者にとって有用である。海外での勤務や就活事情に関する情報が限られるなか,海外での研究・就職活動の実態や,海外で活躍する研究者の体験談が記された本書は,海外での就職や研究をめざす研究者にとって必携のものといえよう。第2に,本書は就職活動を間近に控えた大学院生にも役立つだろう。本書は海外でのPI就職を目的とした際の必要書類や心構えなどを紹介しているが,これらは必ずしも海外でのPI就職に固有のものばかりではなく,研究者としての就職活動において普遍的に重要なものも多いように思われる。そのため,就職活動が未経験である大学院生も本書を手に取ることによって,大学が求める人材がどのようなものか,そうした人材を見出すために選考の各要素,さらには提出書類1つ1つまでがどのように機能しているかについて,具体的なイメージをもつことができるだろう。最後に,既に日本の大学に勤務している研究者にとっても,本書は重要なメッセージを発信している。多くのアジア諸国が欧米的な大学運営にシフトしつつあるなか,日本の大学運営や就職活動は独自の文化を残した,国際的にも希少な形をなしたものと本書では指摘されている。一方で,その環境に自らが身を置いた場合,そうした独自性が自覚化されることは難しいだろう。本書は海外での勤務に関する豊富な情報を提供しつつも,決して偏向的ではなく公平性・中立性について細心の注意を払い,日本の研究職の利点についても言及している。国内外の大学の仕事事情の特徴を客観的に指摘する本書は,日本の研究者が海外と相対したうえで,日本の大学がもつ魅力や向かうべき方向性について再考するきっかけとなるかもしれない。
現在,新型コロナウイルスの感染拡大に伴い,国内外で大きな出入国制限がかかり,国際学会参加,在外研究,研究留学などといった海外渡航を断念した会員も少なくないだろう。特に,こうした社会の閉塞感は,国際的なキャリア発達をめざす大学院生や若手研究者にとって,海外をいっそう遠いものとして感じさせる要因になっているかもしれない。このような事態にあって,本書は国際的な活躍をめざす会員の熱を保ち日々の研究や生活に励む動機づけとなるかもしれない。未曾有の事態に人類が打ち克ち,研究内外で開かれた世界が戻ることを祈念して筆を擱きたい。
(文責:赤松大輔)
(2021/2/1)