はじめに
従来,「いついかなる場合もこれが正しい」という,紋切り型の認知が不適応をもたらすことは,臨床的な視点からも指摘されてきました。同様に,社会的に望ましいとされるルールの遵守は,本来なら適応的で望ましい結果を導くはずですが,行き過ぎると,独善や他者への過度の期待や,自己犠牲の結果搾取されるなど,皮肉にも却って行為者自身の不適応や所属社会への不都合が生じることもあります。
私はこれまで,このような過度の規範意識による弊害の生起メカニズムを検討してきました。
研究を始めたきっかけ
学部生の頃には発達心理学,学習理論をご専門とされる先生に師事していました。共感性や道徳発達,社会的学習による価値の内在化の話など,この時の経験は今でも私の研究の基礎となっています。しかし卒論では,私自身が悩んでいた,大切だった友人が抱えていた問題を研究の主軸とし,冒頭で述べた弊害の中で,「善への願望が強すぎると,他者の善行の意図を推論する際,行為の道具的な機能に注目してしまい,思いやりとして受け取れなくなる」という現象にフォーカスしました。当時,先生から社会心理学の考え方が適当というご助言をいただいたため,山岸俊男先生の信頼の解き放ち理論の視点を取り入れた上で,信頼感と,その理論で当時は十分に扱われていなかった「こうあるべき,あってほしい」という信念や対人感受性などが,利他行動の行為意図の推論と評価におよぼす影響を検討しました。振り返ると不足の多い研究でしたが,それでも今の研究につながる大切な経験でした。
これまでの研究内容紹介
A. 過度の規定と,評価者側に生じる問題の検討
修士課程では,「過度の規範意識が他者の利他行動の意図推論と対人評価におよぼす影響」をテーマとして扱いました。冒頭で述べたように,紋切り型の認知をもつ人は,特定のルールを流動的な現実に対して常に適用してしまうため,適応上の問題を起こしがちです。同様に,過度の規範意識による問題も,他者や状況を顧みず,内在化した信念が常に適用されている点で共通していると考えました。しかし,1. 「盗むな」などの規範は過度にはなりえないのでは? という疑問や,2. 当時は,規範からの逸脱を問題視し,規範を守らせるための方略の検討に焦点を当てた研究が多く,規範遵守を一元的に良いこととする前提が主流だったため,「過度の状態」を扱う下地が十分にないと感じたこと,3. 最後に,「規範の内容は社会や時代で変わるため,知見を他の社会背景に適用し一般化するのが難しい」という古くからの指摘が,目下の問題でした。
これらの問題をクリアするため,規範の性質を以下の2種から捉え,世間一般―個人間での規範に関する認知の一致・齟齬の視点から,規範意識の適度・過度・不足を規定しました。ここでは,2種の規範の性質を,どの社会文化に所属しても存在する損益の視点から分類しています。まず一方が,「盗むな」「殺すな」「賠償責任を」など,他者の損失を避ける規範であり(当為規範),その性質ゆえに,義務のように「遵守すべき」と確実に守ることが求められ,守らなければ非難が生じるものです。もう一方は 「人を助けよ」「分け与えよ」など他者に利益を与える規範であり(理想規範),義務ではなく,遵守すると賞賛が生じるものとして定義しました。その上で,社会で「理想」とされている利他的な規範を,個人が「確実に遵守すべき義務」だと履き違えた状態を,「過度」の状態と説明しました。そして,1. 過度の規範意識をもつ評価者は,義務化により「他者の利他行動を目の当たりにしたときに思いやりを推論できず,良い評価を行わなくなる」こと,2. 過度になりやすい(なりにくい)個人特性として,たとえば曖昧さ耐性,熟慮性,認知欲求や共感性など,複雑な認知処理傾向の調整効果を明らかにしました。
B. 行為者側に生じる問題の検討――社会環境変数との関連から――
その後,博士課程では,過度の規範意識を行為者側が持った場合に生じる問題を扱いました。その際,社会―個人の認知のズレを扱うには,これまでの個人側の性格特性に加えて,同時に社会全体の規範の捉え方自体を変動させる社会環境変数も考慮する必要があると考えていたため,ここで実行に移しました。なぜなら,同じ内容の規範であっても,時代や文化によって異なる性質として捉えられる場合もあるためです。たとえば,「時間を守る」という規範は,公共交通機関の運行でも見て取れるように,日本では確実な遵守が求められる義務ですが,他国では賞賛される理想として扱われる場合もあります。
同様に,相互扶助の成立している村社会では,利他行動は当然の義務として捉えられ,行わないと非難されるのに対し,人の入れ替わりが多い社会では,常に利他的に振る舞うと搾取される可能性があるため,利他行動はあくまでも理想として賞賛的に捉えられると考えられます。この例に従えば,利他を義務として捉える人は,前者の社会環境では過度にならずに適応的に過ごせるかもしれません。
よって,社会全体の規範の捉え方を変動させる社会環境変数として,関係流動性(社会集団内で人間関係が固定されない程度)や規範の遵守率(どの程度の割合の人がその規範に従っているか)が,規範の遵守行動におよぼす影響を検討しました。その結果,1. 参加者は,対人関係が固定的な社会では,社会全体の遵守率を高く見積もり,協力規範を義務的に守るべきと捉えるのに対し,対人関係が流動的な社会では,社会全体の遵守率を低く見積もり,協力規範を理想として賞賛的に捉える傾向にあること,2. 後者のような社会環境で,参加者が「行うべき」と義務的に捉えると,周囲より身を削る自己犠牲的な協力を行い,自分自身にポジティブな評価も行わないことが明らかになりました。
この結果は,過度の規範意識をもつ人が自己犠牲に走るプロセスを示すと同時に,社会―個人間の規範の認知の齟齬を表す「過度」の状態が,社会環境に依存した相対的なものであることを示しています。(場を判断するのにかかわる個人特性の影響も勿論みられましたが,)不適応になるには,結局は環境次第の側面もあるので,そこも留意すべき点だと思っています。
C. その他の視点からの検討
また,社会環境・個人特性以外の視点からも検討を行っています。たとえば,同じ社会集団内でも,その人の属する社会階層によって,保有資源や発言力,権力などが異なるため,行動の自由度や必要性は変わってきます。ゆえに,社会では理想扱いの利他行動でも,地位の低さゆえに選択の自由のない人間には義務となり,地位の高い人間に搾取されるという不公正な構図が出来上がる可能性もあります。社会環境によっては逆の帰結も考えられました。ゆえに,先の社会環境・個人特性要因と同時に,地位や資源などの要因(作業貢献度,金銭,社会的地位など)の影響も検討しました。こちらも2013年から並行して実施してきた研究課題ですが,共同研究の未発表部分もあるため詳述は控えます。
最後に
元々の理由は個人的で,一人のための研究でした。ですが,個人のみに原因を求めず,「条件さえ揃えば誰にでも起こりうる問題」として提示したかったため,大枠から一般化可能なモデルを作ろうとしました。その結果,社会集団と個人の齟齬の話になり,その後も随分と話が広がっていきました。それゆえの悩みもありますが,これらの問題が生じるメカニズムを解明し,今後も多角的に発展させていくことで,類似の問題を抱える人たちの気づきのきっかけを作ったり,解決を図ったりするのに役立てられたらと思っています。
上述以外では,共同でIATを用いた研究や,教育研究なども行っています。今現在,身辺の都合で少し立て込んでしまっていますが,もう少ししたら整えます。もし拙研究の内容にご関心をお寄せいただいた場合は,先に一声だけでもお声掛け下さい。
この度は貴重な機会を賜り,まことにありがとうございました。これまで支えて下さった方々と,拙稿をご覧いただいた皆様にも,改めて厚く御礼申し上げます。