小田 亮・大坪 庸介(編),2023年,朝倉書店
目次
Chapter 1 進化心理学とは何(ではない)か? (小田 亮)
Chapter 2 進化心理学と神経・生理 (鮫島和行)
Chapter 3 進化心理学と感情 (大平英樹)
Chapter 4 進化心理学と認知 (竹澤正哲)
Chapter 5 進化心理学と性 (坂口菊恵)
Chapter 6 進化心理学と発達 (齋藤慈子)
Chapter 7 進化心理学とパーソナリティ (中西大輔)
Column 1 心理統計 (玉井颯一・村山 航)
Chapter 8 進化心理学と社会 (三船恒裕)
Chapter 9 進化心理学と言語 (小林春美)
Chapter 10 進化心理学と文化 (豊川 航)
Chapter 11 進化心理学と道徳 (内藤 淳)
Chapter 12 進化心理学と宗教 (石井辰典)
Column 2 心理学の再現性危機と進化心理学 (平石 界)
Chapter 13 進化心理学と教育 (安藤寿康)
Chapter 14 進化心理学と犯罪 (喜入 暁)
索引
※より詳細な目次は朝倉書店のウェブサイトにて確認できる。
この記事をお読みになっているような,心理学の分野で活動している方々においては,「進化心理学」の名称はご存じの方が多数であると思う。ただ,進化心理学がどういう学問であるのか(あるいはどういう学問ではないのか),心理学の各領域にどのように取り入れられているのかについてまでは,ご存じない方も多いのではないだろうか? 筆者も進化心理学についての概要は耳に挟んだことはあったものの,心理学の各領域にどのように取り入れられているのかまでは知らない者の一人であった。本書を読み進める中で,「進化心理学とは何(ではない)か?」について,また,進化心理学の視座が他の心理学の領域にいかに影響を及ぼし,有益な視点を提供しているかについての理解が深まっていく,充実した感覚が常にあった。読了した今,筆者が進化心理学を一文で紹介するとすれば「進化心理学は『人類史における(生存や繁殖を促進するという意味での)適応の過程』という観点から,多種多様な心理学的知見を読み解き深めていく枠組を提供してくれる学問領域である」ということになる。進化心理学は,多種多様な心理学的現象が「なぜ」生じるのか? という疑問に対して答えるための理論的枠組を提供してくれるのである。
本書では,Chapter 1にて進化心理学の概要が,誤解が生じやすい箇所に配慮したうえでわかりやすく解説される。そしてChapter 2以降で,神経・生理から感情,認知,性,発達,パーソナリティといった個体のレベルから,社会,言語,文化,道徳,宗教,教育,犯罪といった集団のレベルに至るまで,幅広い心理学の領域において,進化心理学がどのような影響を及ぼし,理論的な貢献をしてきたかについてまとめられている。すべてのChapterについて取り上げたいところであるが,筆者の関心に従って,小記事ではChapter 1の進化心理学の概要とChapter 7のパーソナリティ,Chapter 13の教育のトピックで印象に残った点を取り上げまとめたい。以下はあくまで筆者による理解であるので,ぜひ本書を手に取っていただきたい。
まず,進化心理学の概要(Chapter 1)についてであるが,進化心理学とは「ある種の機能主義心理学」であり,心の機能を「遺伝子の複製」という観点からリバース・エンジニアリングする学問であるとされ,大きく2つの前提が示された。ひとつは,自然淘汰の結果,心は遺伝子の複製をより容易にするような機能を備えるようになったことである。もうひとつは,ヒトの心が機能していた環境は必ずしも現代の環境ではないことである。後者の補足として,ヒト(ホモ・サピエンス)は約1万年前に狩猟採集による生活から農耕牧畜による生活へと極めて大きな転換を果たしたが,進化速度の観点から,ヒトの身体の構造と機能の基本的な部分は狩猟採集生活を送っていた数万年前と変わっていないと考えられることがある。この2つの前提,すなわち「ヒトの機能は数万年前の環境に適応し,遺伝子の複製をより容易にするようにできている」ということが,多種多様な心理学の知見を読み解く鍵になる。Chapter 1では,他に「進化には目的がある」,「自然淘汰は反論できない」という進化論によくある誤解や,「進化心理学は,ヒトの心の働きや行動は遺伝子によって決定されている」という誤解に対する解説がなされることに加え,文化と遺伝子が互いにどのように影響し合いながらヒトは進化してきたのかということを解明することが今後の進化心理学の課題であるという展望が示されている。
次に,パーソナリティ(Chapter 7)についてであるが,パーソナリティという概念の概要が述べられ,パーソナリティも「行動」であること,心理学で扱っているパーソナリティは,測定によって外部化された対象を広義の機能主義の観点から研究しているため,心理学の研究法を用いる限りはパーソナリティそのものを直接扱うことはできないことが確認される。そのうえで,パーソナリティ特性の個人差が保持されるメカニズムについて,パーソナリティに積極的な適応的機能を認めない仮説(選択的中立理論)と,適応的機能を認める仮説(反応性遺伝率,平衡淘汰)について議論される。それぞれの理論の詳細まではここでは触れないが,パーソナリティの起源とそれが保持されるメカニズムについて,進化心理学的な視点からの解釈を得ることができる。
最後に,教育(Chapter 13)についてであるが,伝統的な教育学や教育心理学には,よりよい学習を促す教育の探求という価値志向的になりがちな側面があることに触れられる。そのうえで,進化心理学の視座から見た教育とは,「進化の過程で獲得された,ヒトの生存と繁殖にかかわる,ヒトにとって特徴的な適応方略」であり,教育それ自体に「独自の生物学的な機構や機能を見出しうるもの」であることが述べられる。この視点から教育への新しい科学的アプローチがありうるという主張が,本Chapterの重要なトピックとなっている。また,そもそも「教育」とは何であるのかについて,ヒト以外の動物まで適用できる機能的な操作的定義として,ティム・カロ(Caro, T.M.)とマーク・ハウザー(Hauser, M.D.)の「積極的教示行為(active teaching)」の定義が紹介される。この定義には,「自分の利益を犠牲にしてまで,他個体の学習を生起させ促進するような特別な利他行動をわざわざする」という要素が含有されているが,この定義に即すると,教育において教育者自身に生まれる利益が少ないように見える。しかしながら,ヒトは「知識に依存する動物」であり,自然環境に適応するために文化を発展させ,そしてこの文化自体がヒトにとっての生物学的な環境となってきた。教育とは,そのようななかで淘汰されてきた適応的機能である。それがゆえに,ヒトはそもそも「他者にものを教えたいという欲求」,教育を促す根底を適応的機能として保持していると考えられている。よりよい学習を促す教育を探求するという価値追求的な従来のスタンスではなく,教育を自然現象とみなしたうえで教育が成立する理由を探求するという進化心理学的視点によるスタンスからのアプローチが,現代における教育の問題点をあぶりだすことや,その解決方法を示唆することにつながっていくという期待が得られる。
以上,筆者の関心に基づき,僭越ながら3つのChapterの内容を紹介させていただいた。ここで取り上げなかったChapterの内容も非常に興味深く,進化心理学が各領域の心理学に与えた影響などを知ることができる。また,いくつかのChapterで浮かび上がってくる疑問が,別のChapterの知見から紐解けるのではないかという感覚を筆者は得ることができた。進化心理学の視点から心理学の各領域の知見を読み解くと,これまで見えなかった各領域のつながりを見出すことができるだろう。「進化心理学って何なの?」「進化心理学って役に立つの?」と感じられている方は,ぜひとも本書を読んでいただきたい。そのように薦めたくなる良書である。
謝辞
図書紹介の執筆にあたり,株式会社朝倉書店のご協力を賜りました。ここに厚く御礼申し上げます。
(文責:磯和壮太朗)
(2023/11/1)