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つくられる子どもの性差-「女脳」「男脳」は存在しない-

(森口 祐介(著)2024年,光文社)

目次

はじめに
第1章 脳と心に性差はある?
第2章 子どもの好みの性差
第3章 子どもの空間認知の性差
第4章 言葉の性差
第5章 攻撃性の性差
第6章 学力の性差
第7章 感情の性差
第8章 心の性差は作られる?
第9章 子どもの未来のために
おわりに
 

「女の子だからおしゃべり上手」「男の子は制御不能」。こちらのフレーズ,本書を手に取って真っ先に目に入る帯コピーである。このようなフレーズに違和感を覚える方もいれば,日常的に受け入れてしまっている方もいるのではないだろうか。これらはジェンダーステレオタイプと呼ばれるもので,無意識のうちに我々の心や行動に影響を及ぼしている。

ジェンダー平等が声高に叫ばれる昨今,「女のくせに」「男のくせに」といった男女差別を助長する言動には世間が敏感な一方,女性と男性では心の仕組みに違いがあることを強調する場面は日常にありふれている。事実,本書で言及されている内容を挙げると,「地図を読むのは女性よりも男性が得意」「女の子はピンク色が好き」といった発言が交わされる場面は多くある。いずれの発言も,おそらく普段何気なく会話の中で用いられ,たとえ違和感を抱いたとしても,気に留めることもなくジェンダーステレオタイプの枠組みを適用してしまっていることは少なくない。

前置きが長くなってしまったが,本書の副題にある「『女脳』『男脳』は存在しない」は,先述した例のように男女で行動や性格などに差異があるのは,男女で脳の構造が違うことに理由を求めてしまいがちな社会全般の動向に対して警鐘を鳴らすメッセージでもある。本書では,行動や性格,言語・認知・学習などの能力の発達において,「子ども」の性別による差異が生じうるのか,心理学や脳科学の科学的知見に基づいた議論を展開している。そしてこの議論こそ,本書が果たす大きな学術的貢献と評することができる。なぜなら,子どもをとりまく大人たちが無意識に子どもの行動や性格の原因を性別に求めているからである。本書では,心理学や脳科学の科学的知見に基づき,性差が見られない心の側面と,ある程度の性差が見られる心の側面とを説得的に示している。さらに,性差が見られる心の側面については,どのような要因によってその性差が生じるのか,科学的知見に基づいて多角的かつ鋭い考察が展開されている。子どもが社会化され,大人へと発達していく過程において,いかにして性差が生じ,それが拡大していくのかという,性差そのものの発達メカニズムを追跡するという視点は非常に興味深い。

先取りになるが,本書全体を通した問題意識には,「赤ちゃんの頃にはほとんどの行動や能力に性差はない,あっても極めて小さい」「年齢を重ねるうちに,性差が比較的大きくなる」という先行研究の知見を前提としている。言い換えると,生まれつき性差があるのではなく,心の性差は発達の産物であり,大人や社会の性別に関する思い込み(ジェンダーステレオタイプ)が大きく影響していることを著者は主張する。本書は第1章〜第9章で構成されており,詳細は次のとおりである。まず,大人を対象とした行動,能力,脳の構造・機能に関する性差の研究知見の概観を皮切りに(第1章),「色/おもちゃの好み」「空間認知」「言葉」「攻撃性」「学力」「感情」(第2章〜第7章)の側面から,どのような要因が子どもの性差に関与しているかを心理学のみならず脳科学や遺伝・性ホルモンといった生物学的要因なども網羅的にレビューしている。第8章では,第7章までに明らかになった知見を踏まえて,僅かに性差があるように見える行動や能力がいかにしてジェンダーステレオタイプの影響を受けて,性差が作られていくのかを考察している。最後に,第9章では,総括として,子どもの性差のあり方について,今後どのように大人が向き合っていくべきなのかが論じられている。

性差に関する議論は,極めてセンシティブであり,研究の潮流としても「性差がある」と主張することにいささか躊躇う研究者も多い中,果敢にこのテーマに取り組まれた著者の森口祐介先生に深く敬意を表したい。紙幅の都合上,各章の研究の詳細は割愛させていただくが,初学者が読んでもわかりやすく研究の手法から結果の解釈まで解説されており,読者の皆さんにはぜひ手に取って一つひとつの研究の奥深さを堪能いただければと思う。

子どもの「心の性差がつくられる」仕組みを明らかにする試みによって,社会的な環境や大人との関わり方が大きく影響していることを深く考えさせられる。すなわち,あらゆる可能性を秘めた子どもたちの心の性差が社会的に増幅されていく現状は,結局のところ,社会に生きる大人としての責任を我々に突きつけている。冒頭でも述べたように,「女脳」「男脳」のような「女性」「男性」というカテゴリーで物事を捉える方が情報処理的にも楽であることを人間社会の営みを通して我々は身につけてしまっている。繰り返しになるが,本書がデータを用いて強調するのは,「統計的に見れば,子どもの頃の男女間の性差はほとんどないか,あっても極めて小さいものが大半である。ただし,一部の能力においては,平均的にわずかながら若干の性差が認められるものもある」ということである。本書の主張は「男女に違いがある」ことを理由にしたい現在の社会全般にとっては受け入れ難い話かもしれないが,こうした少数の性差の事例を一般化してしまうのも,社会的産物として大人に埋め込まれている思い込み(ジェンダーステレオタイプ)の巧妙な心の働きにすぎないことに気付かなければならない。どのような分野であっても,一人ひとりの個人差は大きく,その幅は性差をはるかに超える。本書を通じて,どれほど我々大人が知らず知らずのうちに性別のカテゴリーの色眼鏡をかけているかを自覚し,子どもとの関わり方を含めて,日常の中での自身の振る舞いを問い直すきっかけにしてほしい。

図書紹介の執筆にあたり,株式会社光文社のご協力を賜りました。ここに厚く御礼申し上げます。

(文責:木田千裕)

(2025/6/1)