――心理学に興味をお持ちになったきっかけは何でしょうか?
私の出身は教育学部なんですよ。小学校教員養成課程。そういう人は少なくないかなと思うんですが、卒論を書く時に研究室に所属するんです。基本的に高校時代までの勉強が好きじゃなかったので、今まで勉強したことのないもの、ということで、教育学と心理学に絞られたんですよ。教育学は理屈っぽいし、本ばっかり読んでる。そういうの苦手なので。データを取ったり、記録したり、そういうものの方が自分には分かりやすかったっていうかな。それで心理学というものに興味を持って、心理学の研究室に所属したわけです。研究室のテーマの1つに道徳性の発達っていうのがあって、ピアジェの道徳判断を卒論で取り上げたんです。
―――研究テーマを選ばれた理由は何ですか?
たまたま研究テーマとして道徳性を選んだのは、研究室の先生の影響が大きかったということと、やはり服装の乱れは心の乱れという(当時の若者に対する社会の厳しい)見方に対する反発もあって。ピアジェ、コールバーグって言うのは、どんなに小さい子どもでも、良さとか悪いことに対する基準を持っていて、自分で判断出来るんだって言う理論なんですよね。だから、親の、大人の判断に従うんじゃなくて、自分で判断出来るんだって言う、そういうところにすごく惹かれた。それで、教員になる道もあったんですけど、モラトリアムの時期だったので、大学院に進もうということで研究テーマに合うような大学院を探して、その結果筑波大の児童心理学の研究室に入ったんです。そこで、道徳性の研究と併せてやる向社会的行動の研究に触れて、それをやっていこうと言う風に思ったんですね。
―――いくつかある研究室のテーマの中で、道徳性を選ばれた理由は?
昔からの反骨心もあったし、子どもでも判断出来るんだっていう、そういう理論の魅力に取り付かれたって言う面が大きいですね。臨床にも興味があったっていうところと、道徳性の研究をしていったことと関連があってですね。悩みとか、いわゆる、障害とまではいかないけれど、精神のちょっと乱れ、病気。これは決して心の不健康では無いだろう、というのが当時の、若かりし頃の見方だったんですね。その人の価値を決めるのは、そういう外見だとか、悩みを抱えているとかそういうことじゃなくて、より良く生きること、より良く生きようとしていることじゃないかと思ったんですね。何かと言うと、それは結局モラル、というもの。例え浮浪者みたいな、ホームレスみたいな格好しててもちゃんと生きてる、生きようとすることもできるし、逆にスーツを着て、立派な社会人であっても原発、原爆のボタンを押せば世の中終わっちゃうわけだから。外見(服装、身なり)とその道徳的な決定っていうのは、分けてみた方がいいんじゃないかっていうことを当時、そういう意識が強くて。実際チュリエルの社会的領域理論っていうのはまさにそうなんですね。社会的慣習と他者の幸福、福祉を高めようとする道徳っていうのは全然違う概念なんだ。そういう理論だったんですよ。
―――この頃から小さいお子さんを対象にしていましたか?
幼児・児童でしたね。道徳にしても向社会的行動にしても、それ自体にも関心があったのですけれども、それをどういう風に身につけて行くのか、というところ、つまり発達に関心があるのかな、と思ったんですね。自分自身。大学院の頃から幼稚園・保育園を回って、調査をしてたんですけれども、増々発達に関心が強くなりましたよね。一人一人違うし。先生の見方も違うし。修論の一部の研究で、教師・保育士、による子どもの、当時保母さんですけれど、行動評定を頼んだんですよ。私は軽く考えてたんです。でもそれが、先生達が3人、4人集まって、いやこの子はこうだこうだと色々、話し合いをしながら評定してくれてたんですね。その場にちょうどいたんですけども、なかなか決まらない。結局、自分が測定したいものは人によって見方が違うのかなぁとかね。そういうこともあって、増々発達、発達って言うのは周りがあって育つもの。周りからの影響が大事なのかなってことを修論書きながら感じました。ですから、修論の後は、親子関係の研究したり、仲間関係をちょっと見たり、あるいは教師が作り出す教室環境、公平な環境、あるいはそれを生徒がどう見ているのか、という研究を少しずつやって来たと思います。
―――保育士養成や地域の幼稚園・学校や家庭と連携事業に携わっている中で、道徳研究が実践の場にどのように貢献していると感じられますか?
小学校・中学校の先生が集まる会議に出ていくと、心理学の概念が次から次へと出てくる。現場の先生達は本当によく勉強していますね。指導案に出てくるんですよ。私の研究がというか、心理学がかなり教育実践の中で発展してるなぁという気がしますね。
―――どういう形で心理学が貢献していると思いますか?
まずは教員養成の世界。養成はかなり重要だと思います。あと、研修ですね。道徳教育あたりでは、道徳と慣習は違うんだって言うことは、現場の先生の中にも浸透していますので。直接私の貢献じゃないですけれど。こういう風に、一般の人のこういう人の発想から教育してるんだなっていうのを知って嬉しくなることはありますね。
(首藤先生が関わられた家庭教育「親の学習」という冊子作りについて)ストレスへの対処だとか、あるいは親達が集まって話し合うというカウンセリング、構成的エンカウンターの要素も少し入れながら、親が親として成長するものを埼玉県の教育委員会が作ろうとしたものがこれなんですね。みんなが集まって自分の経験を語り、また人の子育てを聞くと。自分の意見を出す、また人の意見を聞く。そういうところから、人は成長出来るんだからということでね。かなり心理学の要素を取り入れたプログラムになってるんですね。こういうところに間接的だけれども、心理学の研究成果、あるいは心理学というものが貢献しているのかと思うんですよね。
―――今保育士研修とかで必要とされている心理学の分野、知見にはどういうものがありますか?
これ表現しにくいんですよね。基本的には全ての内容が生きているとは思うんですけれども。どうしても実践に強いアプローチを日頃研究世界でも取っているかどうか。例えば観察だとか、いわゆる質的なアプローチですよね。あと臨床心理をやっている人辺りは強いでしょうね。基礎的なことも現実なしに成り立たないですよね。実験場面は現実の縮図ではないですけれど、どんな実験的な研究も現実世界の一部を取り出して条件統制してやっているわけですので、現実世界へのアドバイスは必ずできるはずなんですよね。
―――若手研究者と話していると、実践もやりたいけれど研究もやりたい、バランスを取るのが難しいという話をよく聞くのですが、どういう風にするとよりバランスを取りやすいでしょうか?
実践をやりたいと思う若い人がいること自体すばらしいことですよね。私が若い頃は実践よりも論文しか読みませんでしたから。そういう研究者って今でも多いと思うの。院生辺りは。業績出すためには論文をたくさん読まなきゃいけないし、文献全部しっかりしなきゃいけない。こっちの論文ではこんなこと言って、こっちの論文ではこんなこと言ってる。おかしいから何か解決するような研究をしよう、とか。現実とは切り離した形でそういう思考をしますよね。当時はそういうことしか出来なかったんだけど。実践もしたいっていう発想があること自体がすばらしいですので、アドバイスっていうかあるのかなぁ。頑張ってとしか言えない。リアリティは論文の中じゃなくてやはり外にあることを知っているわけだし。でもやっぱり論文読むのは大切ですから。そういうこともやろうとしているわけですから。
実践から何かヒントにするもの沢山あると思うんですけども、実践に役立つものという意識はあまり持たない方が良いのかなという気がしますけどね。なんとか業績を出して、とにかく職を得ることに貪欲になってほしいですね。最初は。いったん職を得たら、これは社会的貢献というのは必ず求められますから。同時に自分の研究フィールドを持つ必要がありますので、実践はもう必ず必要になってくると思うんですよね。学生教育自体が実践ですもん。
―――最後に若手研究者に、一言お願い致します。
一言でいうと、パーソナリティ研究に論文出せば就職出来るよ、ということですね。とにかく就職して、出来れば学位を取って就職して、そして実践と研究との往還的な研究体制を作って下さい、ということですね。現実は論文の中じゃなくて、世の中にあるので。常にアンテナは張っておいて下さい、ということですね。でも言わなくても若い人は、ほんともう、活発に実践してますからね。
そしてベテランの先生はやはり、パーソナリティ研究というものの認知度を上げて、そして、心理測定とか統計法も含めてその専門性をきちんと、認知してもらえるような社会的な活動をしなきゃといけないと思います。貪欲に、必要な時があれば色んなメッセージを学会で出して欲しいんですよね。学会としてきちんと世の中にメッセージを出していくってことを、ベテランの先生はすべきだなと思いますね。アメリカ心理学会はけっこうやってますよね。若い人には一生懸命研究してもらって、50過ぎたら、政治的な動きと言うと大げさだけども、やはり学会の認知度と重要度を上げるような社会的活動をしてほしいということですね。新聞のインタビューに答えるとか。そういう時は必ず、所属パーソナリティ心理学会とか、そういうの付けるとかね。ベネッセのインタビュー受けた時そうしましたよ。ちょうど編集委員長していたので、「所属パーソナリティ心理学会」って。そういうことに関心を持って欲しいなと思いますね。