(伊藤裕子・池田政子・相良順子(著), 2014, ナカニシヤ出版)
目次
序章 研究の目的と調査の概要
第Ⅰ部 子育て期・中年期の夫婦関係と心理的健康
第1章 妻の就労形態による夫と妻の心理的健康
第2章 多重役割が夫婦の関係満足度と心理的健康に及ぼす影響:妻の就業形態による比較
第3章 夫婦のコミュニケーション
第4章 夫婦関係満足度
第Ⅱ部 中高年期の夫婦関係と心理的健康
第5章 中年期から高齢期における夫婦関係と心理的健康
第6章 定年前後の夫婦関係、社会的活動と心理的健康
第7章 夫婦における愛情と個別化
終章 本書のまとめと今後の夫婦関係研究の課題
近年,勤労女性を取り巻く問題(少子化や託児所の不足など)は社会的課題ともなっている。しかし,生涯発達を主張する心理学の領域においても,成人期以降の研究は乏しく,特に子育て期や中年期を対象とした研究は数少ない。本書は,子育て期から高齢期までの女性の発達を“夫”側の視点,また“夫婦”としての機能という側面から包括的に捉えているという点で貴重な一冊となっている。また,具体的な研究データをベースに,夫婦の在り方を中立的な立場から評価し,また時にはシニカルに解説している点も本書の魅力である。本書は2部構成となっており,第1章から第4章は「子育て期・中年期」に,第5章から第7章は「中高年期」に焦点を当て,夫婦関係と心理的健康についてのデータに考察を加えている。以下,本書の内容を概観し,書評とさせていただきたい。
第1章の「妻の就労形態による夫と妻の心理的健康」では,結婚生活・職業生活・家計収入満足感・性役割観が主観的幸福感に及ぼす影響が解説されている。有職か無職かということよりも,そして結婚生活であれ職業生活であれ,本人が傾倒している生活において経験される満足感が主観的幸福感を左右する要因であることが述べられている。しかし,「稼ぎ手」としての意識が強い伝統的性役割観をもつ夫は,妻のパートタイム就業により“自分の収入が十分ではない”という不満感を持ちやすく,その結果主観的幸福感が低下するといった心理的メカニズムも同時に解説されている。女性の仕事との関わり方が多様化している今日,就労形態別に夫婦関係を捉えることがリアルな夫婦像の把握に必要不可欠であることがよく示されている。
第2章では,多重役割がもたらす個人内の影響(スピルオーバー)と夫婦間の影響(クロスオーバー)が検討されている。例えば,夫からの育児サポートが得られない場合,フルタイム就業妻は自身の仕事役割への傾倒が夫婦関係満足度を低下させるというように,いわゆるネガティブスピルオーバーがみられる。また,分業観の強い専業主婦は夫が仕事に傾倒するのは当たり前であると考えるため,夫の仕事へののめり込みにより自身の主観的幸福感が低下することはなく,ネガティブなクロスオーバーはみられない。著者は,クロスオーバーの様相は発達段階によっても異なることを指摘している。夫婦各々の日常的活動が相互に影響し合っているという本知見を踏まえることで,政治的施策を含む多様な領域での新たなサポートの方向性がみえてくることであろう。
第3章は夫婦間コミュニケーションに焦点を当て,夫婦関係をより基本的な枠組みから再考している。主要な結果は以下の2点にまとめることができるだろう。第1に,子育て期の妻においては「子どもの件でコミュニケーションを求めた際に,夫がそれに応えてくれるかどうか」が主観的幸福感に影響しており,会話時間と自己開示が夫婦関係を規定する要因となっているが,夫の主観的幸福感にはコミュニケーションの多寡ではなく「妻が自己に対して自己開示をし,夫婦関係に満足している」という事実が重要となる点である。第2に,中年期は“父母”ではなく“夫婦”としての関係性が再び問われる時期であり,よって夫婦共に配偶者への自己開示が夫婦関係満足度を高める点である。このような発達段階ごとのコミュニケーション形態の検討は,育児後の熟年離婚といった問題へのアプローチに有意味なヒントを与えてくれることだろう。
最も興味深かったのが「夫婦関係満足度」についての第4章である。本章では,「自身の夫婦満足感」と「相手の夫婦満足感の予測値」とのズレを検討し,“お互い様装置”および“役割としての関係への限定”というキーワードと共にシニカルな夫婦関係維持メカニズムが解説されている。夫婦間で平均値を比較すると,夫よりも妻の満足度得点が低くなる。しかし,相手の満足度を予測させると,妻は夫の満足度を実際よりも低く,夫は妻の満足度を実際よりも高く評価する。つまり,実際の満足度には夫婦間での乖離があるにも関わらず,夫婦関係を維持するために「相手と自分自身の満足度におけるギャップは小さい」と考え,認知的均衡を図っているという。また,夫婦満足度の低い妻においては「家計の担い手・子どもの親」という役割の中でのみ夫を評価することによって夫婦関係を維持しているとも述べている。本書の知見のみから夫婦関係の維持メカニズムの在り方を結論づけるのは早計であるかもしれないが,今後さらに検討していくべき重要なテーマであろう。
第2部では,中年期以降の夫婦関係に着目している。高齢化が進む昨今,退職後の長い人生をいかに充実したものにするかが問われており,非常に重要なテーマを含んでいる。第5章では,健康状態・経済的基盤・夫婦関係が中高年期の夫婦関係満足度にどのような影響を及ぼすのかが丁寧に説明されている。例えば,非伝統的性別分業観を持つことや別室就寝などの生活形態は女性の夫婦関係満足度を低下させるが,主観的幸福感は高まっており,女性にとっては夫婦生活と「各自で」といった個別化を志向することとが別ものである点が指摘されている。
続く第6章では,定年前後の変化について言及している。これまでは,定年後に広がる活動(「趣味・余暇活動」や「社会・地域活動」など)への参加自体が大きな意味をもつと考えられてきたが,参加頻度よりも満足度が主観的幸福感において重要であり,単に活動に参加するだけでなく,そこに充実感を伴う必要性,そしてこれからの高齢期の在り方を再考する必要性について述べられている。
第7章は,共同的存在といった意味合いが強い夫婦の捉え方に「個別化」といった新しい視点を取り入れ,夫婦関係のグループ化を試みている点が興味深い。中年期の妻において高かった個別化志向は,退職後の夫においても高まり,70代になると夫婦とも同レベルになる。自己開示や相互行動が増える事実と矛盾するようにも感じるが,お互いが個としての在り方を尊重しているからこそ生じる現象なのかもしれない。しかし同時に,離婚の意思をもつ夫婦ほど個別化志向が高いことから,良好でない夫婦関係を維持しつつ,お互いの行動を拘束しないことで摩擦や争いを避けるという防衛的機能についても言及している。
女性や夫婦の心理的発達について様々な検討と考察を加えている本書は,成人期以降の発達に興味がある方々はもちろんのこと,臨床や社会学,また政治などの領域に携わる方々にも役立つ,是非手にしていただきたい一冊である。また,著者自身も各節ごとに研究の問題点や限界点を挙げており,このような点を踏まえた上でさらに本書が扱う領域の研究が進められることも期待したい。(文責:渡邊ひとみ)
・本書評の執筆にあたり,(株)ナカニシヤ出版のご協力を賜りました。ここに厚く御礼申し上げます。
(2015/2/1)