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遺伝子を生かす教育―行動遺伝学がもたらす教育の革新―

(キャスリン・アズベリー,ロバート・プローミン(著),土屋廣幸(訳),2016,新曜社)

目次

第1部 理論的に考える
1章 遺伝学,学校,学習
2章 我々は現在の知識をどのようにして得たか
3章 読む,書く
4章 算数
5章 体育―誰が,何を,なぜ,どこで,どのように?
6章 科学(理科)―違う思考法?
7章 IQと意欲はどうやったらうまく一致するか?
8章 特別な教育の必要性―着想とインスピレーション
9章 教室の中の「クローン」
10章 ギャップに注意―社会的地位と学校の質
11章 遺伝学と学習―重要な7つのアイデア

第2部 実地に応用する
12章 個別化の実際
13章 11項目の教育政策のアイデア
14章 一日教育大臣

 

 ゲノム研究が急速に発展する現代においても,「遺伝子」という言葉に危機感や抵抗感を抱く人は少なくないだろう。「遺伝子の影響を受ける=努力では太刀打ちできない」との捉え方をする人もいるようである。本書は,「行動遺伝学の成果をどのように“教育”に活用すればよいのか」というテーマについて,科学的根拠に基づく理論,そして実地への応用を踏まえて展開されていく。「平等」や「公平」といった概念が重んじられることの多い“教育”という分野において,あえて「遺伝子」に着目するという切り口から論を進めている点に,本書の斬新さ,新鮮さがあるといえるだろう。
 第1部では,これまでに行われてきた行動遺伝学研究の紹介を交えながら,遺伝子という視点を取り入れた上での教育の在り方について論じられている。教育を受ける前の子どもたちはまっさらな白紙である,との考え方を否定することから,本書は始まる。子どもたちは一人ひとり異なる遺伝子を持って生まれてくる存在であり(例外的に,一卵性双生児はほぼ100%の遺伝子を共有しているが),この遺伝子は環境との相互作用の中で働くのである。第1章では,教育においても遺伝子と環境との相互作用を受容することの重要性が述べられており,すべての子どもに恣意的に同じ目標を押しつけるような教育アプローチに対して問題を提起している。第2章では,著者らの主張の論拠となる英国の大規模研究である「双生児早期発達研究(TEDS)」の概要が紹介されている。行動遺伝学研究の主軸を成す「双生児法」の原理についても説明されている。
 第3章~第6章では,読み書き,算数,体育,科学(理科)といった“各教科”についての行動遺伝学研究が紹介されており,行動遺伝学にあまりなじみのない読者らも,自らの経験と照らし合わせながら読み進めることができるだろう。いずれの分野の能力についても共通してその個人差には少なからず遺伝要因が寄与しており,一人ひとりのもつ能力を伸ばしていくためには,多様な環境が準備されるべきであることが主張されている。第7章では,学校においてIQと自信に関する能力を引き出すことの有用性について,第8章では特別な支援を要する子どもに対する個人に焦点化した教育の必要性について論じられている。遺伝的効果の影響に加え,第9章では各個人が経験する非共通の環境の影響の重要性について,第10章では社会経済的地位に関する遺伝と環境との相互作用について焦点が当てられている。
 そして,第11章では,行動遺伝学による学習と行動に関する豊かな知見に基づき,学業に関する「重要な7つのアイデア」が紹介されている。具体的には,「成績と能力は,一部は遺伝的な理由のため多様である」,「異常は正常である」,「連続は遺伝により,変化は環境による」,「遺伝子は万能選手で環境は専門家である」,「環境は遺伝子の影響を受ける」,「一番重要な環境は個人で異なる」,「機会均等のためには機会の多様性が必要である」という7つの原則がまとめられている。各章において紹介される知見の数々が,果たして教育においてどのような革新をもたらしうるのか,本章において整理されている。本章に至るまでに少々の苦労を伴った読者らも,ここで著者らの提言をより明瞭に理解することができるであろう。
 第2部では,遺伝を考慮した教育システムの構築に関して,著者らのさらに具体的な政策案が提言されている。第12章では,教育と学習の個別化を実現するための方法について検討されており,第13章および第14章では,遺伝を考慮した教育と学習の実現に関して,著者らによる11項目の教育政策のアイデアと具体的な学校像が紹介されている。11項目すべてのアイデアの説明はここでは割愛するが,例えば「受講する科目の選択肢の範囲を広げる」といった子どもの学習システムに関する内容から,「新人教師に遺伝学の研修を行う」といった教師の在り方に関する内容まで,幅広く網羅されている。あくまでも著者らの考え方の表明であり,著者らが理想とする学校像の実現可能性については議論の余地が残るところであるだろう。しかしながら,具体的な教育政策のアイデアとして示されることで,著者らが本書において一貫して主張する「遺伝子を生かす教育」のイメージを,読者らは思い描きやすくなるのではないだろうか。
 なお,本書を読み進めるにあたり,行動遺伝学に関する専門的知識を必ずしも持ち合わせておく必要はないだろう。著者らも,行動遺伝学研究に焦点を当ててはいるものの,遺伝学に限らずより広く,教育について科学的根拠に基づく検討がなされる必要性を示唆している。読者らが専門とする学問分野を問わず,教育,そして人間を形成するすべての個人差について再考するきっかけとなる1冊であるだろう。(文責:齊藤彩)

・図書紹介の執筆にあたり,(株)新曜社のご協力を賜りました。ここに厚く御礼申し上げます。

(2017/5/1)