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動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

(フランス・ドゥ・ヴァール(著), 松沢哲郎(監訳) 柴田裕之(訳),2016,紀伊國屋書店)

目次

プロローグ
第1章 魔法の泉
第2章 二派物語
第3章 認知の波紋
第4章 私に話しかけて
第5章 あらゆるものの尺度
第6章 社会的技能
第7章 時がたてばわかる
第8章 鏡と瓶を巡って
第9章 進化認知学

 

 著者のフランス・ドゥ・ヴァールは,エモリー大学心理学部の教授,ヤーキーズ国立霊長類研究センターのリヴィイング・リンクス・センター所長であり,霊長類の社会的知能研究における第一人者である。彼は動物の認知機能や道徳性,共感性について数多くの研究を実施しており,動物と「ヒト」との間に驚くほど様々な共通点があることを報告してきた。本書は9つの章から構成されており,動物が我々の想像を超えるほどの賢さを備えていることが,実験や事例観察にもとづいて実証的に議論されている。進化認知論の視点から,動物の意識,言語,社会性などに関する研究知見を数多く紹介しながら,研究方法および動物研究者としての理念について活発に議論している。本書に記された内容は,人類の心的活動の起源をうかがわせ,多くの心理学者を惹きつけるものとなっている。
 第1章【魔法の泉】では,生き物が生存のため必要とする生息環境のことを指す「ニッチ」という概念をはじめとして,認知についての考え方が議論されている。どの種も環境に柔軟に対処し,環境が突き付けてくる問題への解決策を編み出しているが,そのやり方は種によって異なっている。そのため,彼らの能力を指すときには「intelligence(知能)」や「cognition(認知)」ではなく,「intelligences」 や「cognitions」といった複数形を用いて語るべきと主張された。また,動物の知能の真価を十分に理解するため,「擬人観(anthropomorphism)」を避け,動物の視点から認知研究を進めるべきと指摘された。
 第2章【二派物語】では,これまで行動主義の手法と結果に対する反論と,動物行動学の分野で得られた動物の認知能力や意欲,情動に関する知見が紹介されている。著者はまず,ひたすら行動だけに焦点を当て,動物の生まれながらの傾向を完全に無視して,すべてを「刺激―反応」「効果の法則」による機械的学習の産物として理解する行動主義を批判した。その上で,生き物には特有の必要性に適応した学習を認めるべきだと主張した。また,「ニホンザルの芋洗いの伝統は同年代の仲間の間で広まった」という事例をもとに,動物の個体がお互いの習慣を学び合い,多様な集団行動が生まれ,文化が生じると議論した。行動主義と動物行動学の違いはこれまでに常に,人間によって制御された行動と自然な行動との差異だったと主張した。
 第3章【認知の波紋】では,「チンパンジーは,模倣や試行錯誤による学習ではなく,突然の閃きによって頭の中で問題の解決策を考えてから実行に移す」ということを実証したケーラーの実験がまず紹介され,類人猿が日常的問題の解決に洞察力を用いていることが議論されている。また,「アシナガバチは黒と黄色の顔の模様のおかげで,お互いを識別できる」という知見に基づき,認知がいかに生態に依存するかが強調されている。また,「チンパンジーが木の実を割る」などの事例に基づき,計画的道具の使用と因果関係を理解する能力や,解決策に気付くほど高い認知能力を動物が備えているということが紹介されている。「認知の波紋は類人猿からサルへ,イルカへ,ぞうへ,犬へと拡がり,鳥類や爬虫類,魚類も呑み込み,ときには無脊髄動物まで及ぶ」と著者が驚くのにもうなずけるほど,生き物が幅広い賢さを身に付けていることが第3章からは読み取れる。
 第4章【私に話しかけて】では,オウムのアレックスの認知能力に関する実験を紹介し,アレックスが色,形,材料という組み合わせ課題を判断できる能力を持っていることが示されている。さらに,人間の言語能力と認知能力の関連性という知見に基づいて類人猿の手振りや動物の生まれつき呼び声,ミツバチの「参照の合図」などの行動は,情動に依存するものではなく,洗練されたコミュニケーションであると説明されている。また,動物の認知と情動および神経科学を結合した犬の研究で,哺乳動物の脳が本質的に同じような機能をもつことが確認された。
 第5章【あらゆるものの尺度】では,チンパンジーのアユムが写真のように精確な記憶力をもっている事例を通して,知能テストなどに基づいて人間の優越性を主張していた先行研究がまず否定されている。そして,人類の脳は様々な領域や神経,神経伝達物質から脳室や血液供給に至るまで,類人猿の脳とほぼ完全に同じであり,「進化は人間の頭の手前止まり」と議論されている。また,チンパンジーがボディーランゲージの読み取りや騙し合いを頻繁に行っていること,チンパンジーやイルカが「対象に合わせた援助」のような生存よりはるかに重要な共感能力を備えていること,カラス科の鳥が相手のために虫を選ぶという「視点取得」の能力を持っていることが紹介された。これらの研究知見を紹介しつつ,ある特定の手法を用いた実験結果だけをもとに「この動物にはこの技能が欠けている」断言してはいけない,と著者は注意している。
 第6章【社会的技能】では,チンパンジーの集団生活において,三者関係認識を含める分割支配戦略や上位のオスたちによる治安維持活動,互恵的取引,詐欺,喧嘩の後の仲直り,苦しんでいる者への慰めなど,複雑な社会的技能が紹介されている。また,社会的行動および認知の研究が,飼育下の動物研究とフィールドワークとの統合を促進してきたと論じられている。三者関係認識について他者どうしの関係の善し悪しを理解するのは基本的な社会的技能であり,集団生活する動物にとってなおさら重要である。オマキザルの「オーバーロード」という連合姿勢で敵を脅威する行動,チンパンジーの「協同ひも引きパラダイム」行動,ザトウクジラのチームワークなどが全部共通の意図に基づいて三者関係認識を十分に理解した上で採用された戦術であると主張されている。また,序列の強化の手法を熟知しているのは人間だけではなく,動物たちも同じようであることがそれぞれの事例を用いて説明されている。
 第7章【時がたてばわかる】では,動物は能動的に過去を思い出したり,未来を想像したりすることができることがいくつかの事例で紹介されている。例えば,チンパンジーは5年前の出来事についての「エピソード記憶」をもっている。さらに驚くことに,動物たちは,過去の体験を能動的に想起するだけでなく,目的を立て,いつ,どこで,何をするといった未来志向の計画もできるのである。また,衝動の制御から,転位行動,欲求充足の先延ばし,「自分はそのことを知らない」という状態を把握するメタ認知といった高度な能力が紹介され,動物の意志の力や意識についての議論が展開されている。
 第8章【鏡と瓶を巡って】では,自己認識について鏡を使ったマーク・テストに合格して自己を認識できる種とできない種が分かれることがまず紹介され,鏡で自己認識できない種でも,別の方法に基づいて自分自身の行動と他者による行動を区別できることが説明されている。そして,瓶に閉じ込められたタコが内側から吸盤で蓋に吸い付き,回して脱出する実験が紹介され,頭足類など軟体動物までもが高度な知能をもつことが示されている。また,チンパンジーの社会的学習や,イルカが仲間のことを覚えているなど研究動物行動学者の発見をもとに,動物の認知能力について論じられている。
 第9章【進化認知学】では,研究者の間で動物の認知について「抹殺者」「懐疑論者」「擁護者」という3つの態度があること,著者自身は認知動物行動学の「擁護者」であることが述べられている。そして著者は,実験や観察で生じた出来事の詳細に目を向けない動物認知能力の「抹殺者」たちの特徴を示しながら,動物の賢さを発見するためにはその存在を信じる必要があると指摘している。あらゆる生物には独自の生態環境と生活様式,固有の「環世界(Umwelt)」があり,生きていくために知るべきことはそれによって決まるため,生物学の実利的な観点に立てば,動物は必要に相応の脳が備わっている。また,動物認知の研究において観察で得られた結果を実験条件で測定することによって,仮説として示された心的プロセスを正確に把握し,「仮説―検証―因果関係―証拠―主張」という流れで研究を進めるべきだと提唱されている。 
 本書を読んで,著者から動物たちへの深い愛を感じ,「動物の身になって」生態環境と生活様式をよく観察したうえで動物たちを理解していく姿勢に感動した。ここでは各章の内容について簡単に要約したが,紹介しきれていないテーマや研究および,たくさんの観察事例が鮮明に記述されており,とても読みやすく一気に最後まで読みたくなる面白い本だと感じた。動物に興味のある方,特に動物の認知や実験デザインを考える方には,おすすめの1冊である。本書を読めば,私たちの想像を超える動物の賢さに魅了されることだろう。また,動物に関する豊富なエピソードの中で,行動主義者や動物認知の「抹殺者」との戦いや,動物行動学の研究者たちの苦戦も本書では回想されており,動物への偉大なる愛と理解が読者の心を揺さぶることだろう。動物の認知能力に関する研究はまず「人間中心主義」を避けるべきだという本書のメッセージは,乳幼児の発達を研究している評者にも様々な啓示を与えてくれた。大人の凝り固まった考えや視点から脱出し,もっと子どもの身になって,子どもたちの自然体をよく観察しながら,乳幼児が本来持っている有能さを見出していきたいという思いにさせられた。ヒト以外の動物の場合と同様に,言葉での表現が未熟な赤ちゃんの心もまた,きっと私たちの想像以上に賢くてゆたかであるのだろう。
(文責:孫 怡)

※図書紹介の執筆にあたり,(株)紀伊國屋書店のご協力を賜りました。ここに厚く御礼申し上げます。

(2019/6/1)