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記憶心理学と臨床心理学のコラボレーション

杉山崇・越智啓太・丹藤克也(編著),2015年,北大路書房

目次

まえがき
第1部 総論:記憶心理学と臨床心理学,これまでとこれから
第1章 記憶心理学の基礎概念と現状
第2章 記憶心理学と臨床心理学の接点となる包括的モジュールについて――心の劇場と注意のスポットライト
第2部 トラウマ体験と記憶
第3章 虐待記憶とフォールスメモリ
第4章 PTSDの生物学的病理モデル
第5章 PTSDと認知プロセス
第3部 抑うつと記憶
第6章 抑うつの気分一致効果と自己関連づけバイアス
第7章 抑うつにおける記憶の病態
第8章 抑うつの思考抑制,抑制意図,信念
第9章 心理的時間と記憶
第4部 臨床心理学とのコラボレーション
第10章 統合的心理療法の立場から――人間を全体としてとらえつつ,有効な視点で鮮やかに切り取るには
第11章 PTSDに対する心理療法――幼児期,児童期,思春期,老年期の例から
第12章 心理療法における記憶生成と変容の過程――うつ病の事例から考える,記憶に苦しめられるメカニズムと治療的対応
おわりに

 

 臨床心理学と基礎心理学,特に認知心理学は全く別の分野として捉えられることが多い。「生活における本人または関係者の心と行動の問題で苦悩する人々を支える目的で発展した(p.ⅰ)」臨床心理学を学びたいと思い大学に入学したにも関わらず,必修科目では記憶の実験をさせられ基礎的な研究の授業を多く受けることとなり,この経験が自分の目指す未来にどのように関わるかがわからず戸惑う学生は毎年後を絶たない。また,同じ心理学という学問の専門家でありながらも,心理療法家にとって研究方法はしばしば難解であり基礎研究がどのように自分達が関心を向ける人間のこころと行動に関連するのかはわかりづらく,心理研究者にとっては心理療法の目的そのものや療法家が使う用語,そして基礎研究が人のこころにどのように関わるかは想像しづらい部分が多々あるのではないだろうか。本書では,「トラウマ記憶」と「抑うつ」という2つの事象を軸に,記憶研究がいかに臨床的な問題の背景を明らかにし介入に役立てうるものかについて解説がなされている。

 本書は4部構成となっている。第1部ではまず記憶心理学の基礎的な概念や最新の研究までの歴史についての説明がなされる。その上で,臨床心理学では記憶はどのように扱われているかについて精神分析療法や認知行動療法等具体的な療法と関連付けながら説明がなされる。第2部ではトラウマ体験と記憶について,虐待記憶とPTSDの具体的な事例とともに背景となる心理学的,脳科学的な研究の知見が説明されている。実際には存在しない記憶を心理療法によって呼び起こされ裁判が相次いだ「偽りの記憶論争」について詳細に扱われており,トラウマティックな記憶が人為的に植えつけられる危険性についても述べられている。第3部では抑うつと記憶について,具体的な研究を元に抑うつ者の記憶特性や思考抑制について述べられている。脳機能や実際の出来事で抑うつが引き起こされると一般的には考えられることが多い中,抑うつ者がどのように物事を思い出しているのか,また思い出さないようにしているのかが記憶研究の観点から明らかにされている。第4部では「臨床心理学とのコラボレーション」というタイトルで,はじめに心理療法と記憶研究のそれぞれの理念や位置づけが明らかにされ,心理療法の用語を記憶研究ではどのように説明できるかについて解説がなされる。その上で具体的な事例(問題の発生とその経過)を紹介,解説し,記憶研究の観点より改めて解説が述べられる。
 
 本書は,研究の立場からは想像しにくいかもしれない臨床の事例,臨床の立場からは理解しにくいかもしれない研究方法についていずれも具体例を軸として論が展開されており,またそれぞれの専門用語についても随所でそれぞれの立場から丁寧な説明がなされている。公認心理師法の制定により臨床に携わる者はより専門的な知識や多職種との連携が求められる中,心理学という学問の中でまだまだ基礎心理学と臨床心理学の間に壁が存在することは否定できない。本書ではその壁がどのようなものであるかを指摘し,どのようにコラボレーションがなされるべきか,どのような今後の展開の可能性があるか,それぞれはお互いをどのように捉える必要があるかが詳細に述べられているため,心理臨床家,心理研究者,もちろん学生というどの立場で読んでも興味深い知見が得られるであろう。心理臨床家と心理研究者の視点の違いについて「『お互いに出来ないことができる』または『お互いの気づかない側面を見ることができる』という点で相互に活かし(p.255)」合うことができたならば,人間のこころの理解は一層進み,よりよい支援につながることが期待される。

(文責:吉田恵理)

(2023/2/1)