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性の進化論―女性のオルガスムは、なぜ霊長類にだけ発達したか?

(クリストファー ライアン・カシルダ ジェタ(著),山本 規雄(訳),2014年,作品社)

目次

序文 人類の“セクシュアリティ進化”の真実―人類の女性に、なぜオルガスムが発達したのか?
第Ⅰ部 進化論は“性”をどのように扱ってきたか?
 第1章 真実だと思われている誤解の起源
 第2章 ダーウィン進化論と性
 第3章 “人類の性進化”に関する通説を検証する
 第4章 人類はパンツを穿いたサルなのか?
第Ⅱ部 先史時代の人類の性生活―“エデンの園”は、性の楽園だったのか?
 第5章 人類が“失楽園”で得たもの/失ったもの
 第6章 父親が一人でない社会
 第7章 母親も一人でない社会
 第8章 人類にとって「結婚」とは何か?
 第9章 「一夫一妻」という幻想
 第10章 なぜ男は、嫉妬するようになったのか?
第Ⅲ部 われわれの祖先の日常生活
 第11章 人類にとって「豊かさ」とは?
 第12章 利己主義と利他主義—人類の進化と政治システムの変容
 第13章 残忍なる殺戮は、人類の本性か?
 第14章 人類の寿命の変化
第Ⅳ部 性器とオルガスムの進化論
 第15章 小さな体格と大きな男性器
 第16章 男性器のサイズの進化論
 第17章 人類のペニスの形状の進化論
 第18章 いかに人類は、女性の性欲と戦ってきたか
 第19章 女性のオルガスムの進化の謎
第Ⅴ部 人類のセクシュアリティ進化の未来は?
 第20章 女性は何を欲望するのか?
 第21章 人類のセクシャリティと現代社会の矛盾
 第22章 人間の本性に適応するパートナーシップは可能か?

 

 配偶に纏わる問題は進化心理学的に見て非常に重要なテーマである。なぜならば,ヒトは有性生殖する生物であり,遺伝子を受け継ぐためには男女の交合が不可欠だからである。そうであるからこそ,多くの進化心理学者が,ヒトの性の本質を紐解くための研究に取り組み続けてきた。従来の研究で提供されてきた男女の性関係に関する標準的な説明(以下,通説)は,単純化すれば,以下のようにまとめられる。

<通説>
①男と女が出会う。

②男と女は互いの「配偶者としての価値」を値踏みする。その時の基準となるのは,互いに異なる生殖戦略と生殖能力である。

  • 男は女の,(1)父性不確実性の懸念を解消する要素(性交経験の少なさ,将来的に貞節でいられそうか),(2)繁殖価(若さや身体的魅力),を見極める。つまり,他の男の遺伝子をもつ子供がいなくて,出産可能期間が長く見込める健康で多産な配偶相手を求める。
  • 女は男の,(1)資源獲得能力(富や社会的地位を得る見込み),(2)資源供給意思(誠実性),を見極める。つまり,自分と子供を養い続ける能力と意志がある配偶相手を(特に長期配偶関係において)求める。女は男よりも生殖に関する生物学的なコストがかかるため,配偶行動や配偶者選びに対して慎重になりやすい。

③求愛や説得の結果,男が女を獲得する。二人が互いに評価基準を満たすと合意した場合,長期的な男女の絆を形成する。男女の絆が形成された後は,男は女の性的不実の徴候に目を光らせる(女が他の男と性交すると,自分の遺伝子をもたない子供を育てる羽目になるから)。一方,女は男の精神的不実の徴候に敏感になる(男が他の女に感情的な親密性を感じてしまうと,自分と自分の子供が享受するはずだった生きるための資源と保護を失う可能性があるから)。

 進化心理学に触れたことがある方なら,以上のような基本的なパターンが世界中で行われた研究によって確認され,これが人類のセクシャリティの自然な姿である,という話を聞いたことがあるかもしれない。しかし,本書によれば,こうした一夫一妻を前提としたストーリーは,ヒトのセクシャリティの本質を語り得るものではないという。通説で描かれている行動や嗜好は,わずか1万年前に出現した定住農耕社会へのフレキシブルな順応に過ぎず,ヒトという種に生物学的にプログラムされた特徴ではないというのである。

 では,進化が育んできた人類の生得のセクシャリティとはどのようなものなのか。本書によれば,乱婚(一定数の継続的な性的関係を同時に結ぶこと)こそが,生物としてのヒトにとってノーマルな姿であるという。全5部22章で構成されるこの大著には,解剖学的に見て現生人類と同様の特徴をもち始めた約20万年間のほぼ全期間を通じて,ヒト祖先が,いつでも任意に複数の性的関係を同時に結ぶような性生活を送っていた,と推測できるいくつもの証拠が提示されている。

 まず目に留まるのは,ヒトの心の基本的な機能が形作られた狩猟採集社会の生活様式についての言及である。著者らは,「狩猟採集社会では,厳格な平等主義がほぼ普遍的である」と指摘したうえで,先史時代の祖先にとっても,あらゆる資源を分配することが大原則であったはずであると類推している。ここでは一瞥するに留めるが,たとえば食料について考えてみてほしい。冷蔵庫のないアフリカを想像すれば分かるが,仕留めた獲物の肉を保存することは不可能である。どうせ腐るだけであるならば,その日のうちに共同体の仲間に分けてしまったほうがずっと合理的だ。それに,腕利きのハンターでさえ狩りの成功率は高くはないらしく,そうであれば,狩りに成功したときに肉を分配しておくことは,自分が不猟のときに仲間から肉を分けてもらうための強力な保険にもなる。つまり,かつて考古学者のBoguckiが述べたように,「氷河期の移動狩猟社会では,資源分配が義務となっているバンドの社会組織が,現実には唯一の生きる道であった」と考えられるのだという。

 他にも本書では,狩猟採集社会の生活スタイルや旧石器時代の政治システムについて,いくつもの示唆に富む論考が提供されている。たとえば,農耕以前の社会では特定の土地に価値が生じることはないということや,同じ土地に定住することのない狩猟採集民に持ち運び困難な財産は足枷になるといった論が複数の証左と共に展開される。それらを通じて著者らが主張したいのは,ヒトの遺伝的傾向が進化する舞台となってきた社会の日常的な生活では,「私有財産を所有する」という発想は生じにくかった,ということである。そして,著者らは,この厳格な分配の義務が,性にも及んでいたと考える。

 通説が依拠している一夫一妻は,いわば男女の排他的な相互所有関係を前提としている。具体的には,男性が女性の繁殖能力の独占的な所有権を,女性が男性の資源供給力の独占的な所有権をもつことを議論の出発点としている(※1)。

 しかし,著者らによれば,「私有財産を所有する」ことが生存の可能性を減じさせてしまう環境で生活していた農耕以前の遊牧民に,通説が想定するような一夫一妻の配偶システムが定着するとは考えにくいのだという。その傍証として,本書では,農耕に触れず,今でも狩猟採集のみで食料を得ているいくつもの部族の例が紹介される。こうした社会では,乱婚が採用されている場合が多いそうだ。乱婚が定着している部族の男性は,誰が自分の遺伝的な子供か分からないため(すべての子供が自分の遺伝的な子供である可能性があるため),どの子供にも等しく資源を供給しようとする。すると女性の側は,特定の男性の資源供給力のみを頼らなくてもよくなる。重要なのは,一夫一妻の結婚観をもち合わせないこうした社会では,通説が示しているような性的嫉妬が観察されることは全くないということである。

 進化心理学にとって,「人類に普遍的なもの」こそが探し求める聖杯である(※2)。そのためにやるべきことは,文化を異にしても共通する心理や行動のパターンを突き止めることである。通説で説明されていることは,正に“多文化横断的な調査”によって確認された人類に固有の特徴そのものと考えられている。たとえば,「通文化的に男性は女性の性的な浮気を心配し,女性は男性に感情面で裏切られることを恐れる傾向がある」ということを見出したBussによる“多文化横断的な調査”は通説の基底をなしている。しかし,この“多文化横断的な調査”の対象者に,アマゾン川流域の部族やオーストラリア奥地の先住民,その他多くの狩猟採集社会で暮らす人々は含まれていない。著者らは,このことについて,いみじくも,「世界中の河川しか調査せずに『魚類に普遍的な真実』を発見したと主張するのに似ている」と評している。なるほど,湖や深海で暮らす魚をも調査対象としなければ「魚類にとって普遍的なもの」を同定できないのと同じように,農耕による変革の影響を受けていない社会で暮らす人々を調べずして「人類にとって普遍的なもの」を見つけ出したとは,たしかに言えない。

 「ヒトは本来的に乱婚である」という本書の主張は,こうした状況証拠に基づく推論だけから見出されたものではない。著者らは,私たちの身体の構造も,ヒト祖先が乱婚であったことを物語っていると述べている。具体的には「体外に放り出された陰嚢」「性交時の女性の発声」「オルガスム反応の男女の時間的,回数的なずれ」「排卵の隠蔽」「新規の相手に対するホルモンの変化」「分割射精と噴射タイミングによって異なる精液の化学的構造の違い」などが取り上げられているが,これらは乱婚の名残であるという。なぜこれらの身体的特徴が乱婚を反映していると言えるのか? それは本書を手に取ってご自身の目で確かめていただきたい。
 
 本書は心理学に留まらず,人類学や生物学の知見を総動員して,ヒトのセクシャリティの本質に迫った至極の一冊である。本書で展開されている「人類乱婚説」を受け入れるか否かは別としても,論理と根拠だけを頼りに「自然なるもの」の輪郭に迫ろうとする知的な挑戦は美しい。理想や価値観を一旦棚上げし,次々に襲い掛かる「(著者らの言い回しを使えば)スキャンダラス」な議論に耐えることができれば,これまでとは全く違った世界に出会えるはずだ。その世界にはきっと,人間行動の源泉が本当はどこにあるはずなのかを考えるための強力なヒントが隠されている。そう思わせてくれる力が本書にはある。

 図書紹介の執筆にあたり,株式会社作品社のご協力を賜りました。ここに記して謝意を表します。

(文責:加藤伸弥)

(2024/11/1)


※1 もちろん,進化心理学的な議論では,「自然を理解しようとする営みは価値観や社会的理想を語るものではない」ということも丁寧に説明される。

※2 近年,個人差や多様性についても適応の観点からの解釈が試みられている。本書では,「進化心理学に接するときには,普遍的だと主張するような議論には大いに注意を払う必要がある」という考えを呈示する流れの中でこの表現を用いているに過ぎない。