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インタビュー企画28:中村真

第28回は江戸川大学の中村真先生にインタビューをさせていただきました。先生が心理学の道に進まれたきっかけや研究テーマ、研究活動と教育活動のバランスの取り方、今後の研究の方向性などについて伺いました。

――はじめに先生が心理学の道に入られたきっかけを伺わせてください。

もともとは医者になりたかったんですね。何となく親からも医者になって欲しいということを言われていて、ああ自分は医者になるのかな、とおぼろげながら思っていました。ところが、お恥ずかしい話ですが血を見るのが苦手なんです。いまだに健康診断の時に、自分が採血されている最中は目を閉じて見ないようにしていまして…。医者になっていたとしても、おそらくは精神科や心療内科の方だったのではないかと思います。そうこうしているうちに心理学の方に(高校生ですから本当の心理学が何たるかということはわかりませんでしたが)興味を持つようになって、それで琉球大学の法文学部社会学科教育学・心理学専攻(心理学コース)に進学しました。人間や心の問題にはもともと興味があったのではないでしょうか。それで心理学の世界に脚を踏み込んだという感じですね。

――大学院に進学しようと思われた理由は何でしょうか。

大学でどっぷり心理学に浸かる学部生活を送るうちに、どうも自分は臨床心理学じゃないなと。普通の人たちの普通の人間関係に興味を持って、卒論も社会心理のゼミ(東江平之教授のもと)で書きました。学部1、2年生の頃から卒論の手伝いやサクラをやらせてもらって、「こういうふうに研究をやるんだな」と割と早いうちから肌に触れる環境でした。国立だったこともありますが、学科が1学年15人以内で先生と接触する機会が多く、ゼミに入る前から先生の研究室に出入りしていました。それでなんとなく、大学の先生がやっている仕事は魅力的だなと思うようになったんですね。
当時、琉球大学には心理系の大学院がなくて、進学して学びたいという先輩達は、どうしても沖縄県外に出なければいけませんでした。大学院に進学した先輩達が夏休みなどに帰省して、研究室に近況報告をしにくるのに居合わせる機会があって、大学院とはそんな雰囲気なのかと影響を受けた部分もありましたね。

――どのようなきっかけで東京都立大学(当時)の大学院に進学されたのでしょうか?

3年生の後半ぐらいから、どこか県外の進学先を探して受験しなければいけないと思って情報を集めていました。そんなとき、4年生の夏休みに詫摩武俊先生が集中講義で琉球大学にお見えになったんです。けしからんことに私はその集中講義を受講していなかったのですが(笑)、詫摩先生にお茶を差し上げたりお話をしたりしていました(そのせいで初めは私のことを助手だと誤解なさっていたようで…)。いろいろお話するうちに卒業後の話になり、「大学院に行きたいと思っていますが、どこに行くか右も左もわからないものですから」と申し上げたら、「いろいろお考えだろうけども都立大学も検討しては」とお声かけいただきました。それで改めて情報を集めて、都立大を受けようと思ったんです。そういう出会いが東京都立大学の大学院に進学する大きなきっかけの1つですね。

――先生の研究テーマのことを伺わせて下さい。先生は偏見のご研究をされていますが、なぜ偏見にご関心を持たれたのでしょう。

おそらく対人認知というものがベースにあると思います。人は他人をどう見るのか、出身地という社会的カテゴリーが対人認知にどういう影響を及ぼすのかと考えて、卒論もそのようなテーマで書きました。沖縄にいたものですから沖縄の人が県外の人からどう見られているかという、person perception ならぬgroup perceptionに関心があって、そこから偏見につながっていったのかなと思っています。修士論文も内集団のメンバーに対する認知と外集団のメンバーに対する認知の質の違いというテーマでしたので、人が他人を認識するときどういう仕組みが働いて人を理解していくのか、そこに所属集団、社会的カテゴリーが影響を及ぼすのではないかという関心があったのだと思いますね。

――沖縄のご出身ということはご自身の研究にかなり影響しているのですか。

当初はもう、それにこだわりすぎているきらいもあって、もうちょっと客観的にしていかなければいけないなという思いが強くありました。ところが他の先輩方と関わっていく中で、変にそれを排除しない方がいいのではないかというご意見も受けました。学部の頃から大学院にかけては、そういうことのせめぎ合いが自分の中にあった気がしますね。その人が抱えている問題やこだわっている事柄があるからこそ、研究のモチベーションにつながっていくと思います。それは重要なことですが、同時に、独りよがりにならずに一般的な話に発展させることができるのか。そういったことと当時は戦っていた気がします。独りよがりにならないということに力を入れすぎたり、そのことで負い目に感じたりする必要はないんだとわかったのは結構時間が経ってからです。

――先ほどの対人認知がベースにあるということは、先生の研究テーマのひとつである恥意識にもつながっているのでしょうか。

対人認知と同様に、恥意識も他者や社会との関係の中で生起しますので、広い意味での興味の源泉は等しいのではないかと考えています。
恥意識は、もともと中里至正先生(元東洋大学)と松井洋先生(川村学園女子大学)との、中学生や高校生の社会的逸脱行為や非行に関する共同研究のなかで、非行抑制要因の1つとして扱ってきました。それを自分自身の研究テーマとしても取り入れていきました。恥意識については、3種類を想定していて研究を進めています。1つ目は公私で言えばprivateの恥にあたる自分恥で、これは自分の理想やあるべき姿と現実とのズレに恥ずかしさを感じるかです。自分恥が高いと非行が抑制され、愛他行動が促進されます。2つ目はpublicの恥である他人恥で、社会基準と自分の実際の行動との間のズレに恥かしさを感じるかです。他人恥を感じやすい人は、やはり非行や社会的に望ましくない行動が抑制されやすく、向社会的行動は促進されやすいということがわかりました。
この共同研究に関わらせていただいた中で、もう1種類恥意識があるのではという話が出てきました。私自身は仲間恥と呼んでいるのですが、自分の仲の良い親しい仲間達の基準や行動と自分の実際の行動や考えにズレがあったときに感じる恥意識です。実は、仲間恥が高い人は非行にブレーキがかかりにくく、向社会的行動が抑止されやすいという結果が見出されています。私基準、社会基準、それ以外に仲の良い仲間と共有されている仲間基準というのがあって、中学生や高校生といった若い世代の人たちにとっては仲間基準が重要です。これが広い世間一般の常識から考えるとちょっと逸脱している面があります。大人の基準とはズレているくらいの方がカッコいいとか勇ましいというのがおそらく背景にある。仲間基準とズレていることに対して恥ずかしいという度合いが高いと「ちょっとくらい悪い事したって」ということにつながっていきやすい。

――先生のご研究の対象はどちらかというと若い人なのですか。

そうですね、主に高校生、大学生です。江戸川大学に異動する以前から始めていたことですが、いま(2014年3月)も大学生の大学適応の研究を同僚の松田英子先生(現在、東洋大学)と行っています。最近は好転しているといわれていますが、この10年くらい経済情勢があまりよくなくて、私立の高い授業料を払えずに大学をやめてしまう学生がポツポツいたわけです。ただ我々が大学で学生と接したり、教員仲間と話をしたりすると、大学に来なくなってしまうのはどうも経済情勢だけが原因ではない。若い子達の中に不適応をもたらすような何かがある。これは実際に調査をして実態を明らかにしていく必要があると考えました。
当初は、大学不適応に関係しそうな要因として、入学目的、授業理解、友人関係の3つではないかということが見えてきました。さらに研究を進める中で、大学への愛着、帰属意識を変数として導入したところ、友人関係が充実していると大学への愛着が高く、大学への愛着が高いと適応につながるということが見出されてきました。
大学側も、そういう事をどんどん心理学的に研究して成果を出すよう奨励しているので、恥意識と平行して取り組んでいます。

――大学での教育活動と研究とのバランスをどのようにとっていったらよいとお考えでしょうか。

これは私も伺いたいくらいです(笑)。若い頃はゼミの学生が18人、19人ということもあったのですが、面倒見てあげないと気の毒だと思って、ずいぶんと自分の時間を削って見ていたんですよ。だけど日々そういうふうに過ごしていると研究に時間を割く事ができなくなっていきますよね。最近は、時間が限られていたとしてもきちんと誠意を持って学生に接すれば、学生はある程度大丈夫なのかなということが見えてきました。あんまり「手厚く」と思いすぎなくてもいいのかなと。自分はこれだけの時間をあなたたちの指導に確保しますよと明示して、その範囲の中で対応していけば意外と伝わる。教員になって間もないころの方が、学生の卒論指導にあてがっていた時間は長かった。今はできるだけ中身の濃い指導をするようにしています。以前は言えなかったんですけど、本当に大変なときは学生に「ごめん」と言って、学生本人の努力に委ねるようにしています。
だから、もし若い人に言うとしたら、「断る勇気も必要」ということかな。ただ、断る前後は誠意をもって対応することが大事ですよね。一生懸命やっていると、そういうことは学生には伝わって、わかってくれると思います。
以前は宿題やってない学生を直接叱ったりしたんだけど、最近は叱ることは疲れるし(笑)、良くできた学生をみんなの前でほめて、きちんとやるとどういう風になるのかを観察的に学習させるようにしています。うまく作用しているかどうかわからないけど、まさしくグループダイナミクスです。あとは、学生の力を借りるんです。同じことに取り組んでいる別の学生に聞きに行かせる。もしかしたら、昔は教員に言われなくても自分たち同士で教え合うことができていたのかもしれないですが、今はちょっと働きかけてあげないとなかなか前に進まない。教員からの働きかけがなくても学生同士で教え合うような関係が理想ですね。最近はそのための手伝いをしているような感覚を覚えることすらあります。仲間と協力し合った体験は学生が将来会社勤めをする時にも活かされると思っています。

――今後のご自身の研究の方向性についてはどのようにお考えでしょうか。

例えば、大学適応の研究に関しては、友人関係や入学目的といった適応に関連する要因がわかったけども、それぞれの要因を高めるにはどうしたらいいのかという、研究の方向性がありますよね。友人関係を良好にするための環境づくりとは何か、入学目的があいまいな学生にどんなアプローチをしたらいいのか、当初は目的を持って入学してきたけどそれを見失ってしまいそうな学生のモチベーションを維持する働きかけとは何だろうというような、そういった応用領域が見え隠れする。恥意識についても、恥じらいの気持ちが非行や逸脱を抑制したり、望ましい行為を促進したりすることはわかってきたけれど、恥そのものを育むにはどうしたらいいのか。こういった観点での研究が年を追うごとのライフワークになっていく気がしています。
今はどこの大学でも「地域に開かれなくては」と言われているし、研究成果をどう社会に還元していくかという応用、フィードバックが必要になっています。できるだけ社会からの要請にも、大学に勤めている私たちは貢献していかなきゃいけないのかなと思っています。
最近は、柏市(千葉県)からの要請を受けて、自殺予防に関する実態調査を行いました。柏市のようなベッドタウンでは、プライバシー重視の傾向が高まって、地域社会のネットワークが希薄になっています。そういったことが未然に防げたかもしれない人を自殺に至らせることもあるのではという保健所の方の話から、プライバシー志向やソーシャルサポートを変数に組み込みました。プライバシー志向について高群・低群に分けて分析してみると、なかなか興味深い結果が得られました。必要以上にプライバシー志向が高すぎると他人への気遣いや手助けにも抑止的になってしまうんです。つまり、近隣に心に問題を抱えた人がいることに気づいていても、その人への働きかけや支援が抑制される傾向があるんです。また、心に問題を抱えた人が自分の家族である場合に、隣人からのソーシャルサポートが得られている人はそうでない人よりも、問題を抱えた家族への働きかけが手厚くなる傾向があることもわかりました。これは見方を変えると、「家族の中に面倒を見る人がいるからいいだろう」と突き放すのではなくて、誰かがその人(家族の面倒を見る人)を支えたり、あるいは支える可能性を持ち続けることが必要ではないかということを示唆しています。
しかし、この調査では得られた知見をどのように地域社会で生かしていけばよいのかというところまでは明らかにできていません。これらの結果を、いろいろな対策を練る時にたたき台にするなり、検討するときのひとつの材料にしてくださいということで、調査が終了したところです。
これは理論的な研究というよりも、どちらかというと新しい仮説を作るというタイプの研究ですね。あまり手を広げすぎないようにしつつ、地域社会に貢献し得る研究についても個人的に続けていきたいなと思っているところです。同時に複数の研究に取り組むのはあまり得意じゃないんだけど、そういうことも求められているんじゃないですかね。いまの大学の教員って。

――このインタビューは2014年3月に江戸川大学の先生の研究室で行われました。ここに記載した内容以外にも、論文の抜き刷りや報告書の原稿まで見せていただき、たくさんのお話を伺いました。研究テーマに関するご自身の中でのせめぎ合いや、教育者としての姿勢のお話は、若手研究者にとって励みになると思います。インタビューを通して、先生が他の研究者の先生との出会いや学生さんとの関わりなど、人とのつながりを大切にされてきたことを感じました。お忙しい中、長時間に渡ってお話しいただき、ありがとうございました。