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中川 威(大阪大学大学院人間科学研究科)

第29回は,若手研究者の中川 威先生にご自身の研究をご紹介いただきます。中川先生は現在,大阪大学大学院人間科学研究科に所属され,高齢者についてのご研究をされています。ここでは,現在実施なさっている研究の内容や,今後の展望についてご説明いただきました。

高齢期における発達: 老年的超越の視点から

1. はじめに

僕は現在,70歳,80歳,90歳,そして100歳を対象にした調査を実施しているSONIC(Seputuagenarians, Octogenarians, Nonagenarians Investigation with Centenariansの略)という研究に参画しています。この研究では,医学,歯学,心理学,社会学といった学問領域の研究者が共同し,人間の加齢プロセスと健康長寿の要因を明らかにすることを目指しています。
僕個人は“人生では喪失が避け難いとしても,喪失を引き換えに人は何か得るのだろうか”という疑問を持ってきました。研究では,そのような抽象的な疑問を具体的な仮説に変換することが求められます。今回は,個人的な疑問に研究を通して答えを出すために取り組んでいる研究テーマのひとつとして,老年的超越(gerotranscendence)についてお話させていただきます。

2. 研究テーマ,研究チーム,研究例

老年的超越は,スウェーデンの社会学者Lars Tornstamが提唱した高齢期における発達理論です。この理論では,加齢とともに人は“物質主義的で合理的な世界観から,宇宙的で超越的な世界観への,高次の見方の変化”を示すと考えられています。老年的超越に注目した研究者のひとりが,心理学者Erik Eriksonの妻Joanです。彼女は,夫の死後に増補改訂した著作の中で,高齢期における発達段階を第8段階から第9段階に拡張し,80歳代後半以降を指す超高齢期には老年的超越という発達が現れると述べています。僕は“自立の喪失が避け難くなった時,高齢の方はどのような心の状態になるのだろう”と思い,高齢期を対象にした研究を通じて,先述の個人的な疑問の答えが見つかるのでないかと考えています。
さて,老年的超越の研究を始めるにあたり,幸運にも,大学院生の頃に老年的超越に取り組む研究者たちに出会い,東京都健康長寿医療センター研究所(旧東京都老人総合研究所)と大阪大学の共同研究に参画することができました。そしてこれまで,老年的超越の記述,老年的超越の測定尺度の作成といった共同研究を行い,現在もSONICの研究テーマのひとつとして老年的超越の研究を継続しています。
僕が共同研究の中で始めに取り組んだ研究は,老年的超越がどのような行動として表出されるかを明らかにすることを目的とした質的研究でした。超高齢期の方々を対象にした訪問面接調査を行い,収集した語りを分析しました。その結果,Tornstamが“物質主義的で合理的な世界観”と呼んだ枠組みでは,退屈,諦め,無力感,孤独といった否定的な行動,あるいは,抑うつや認知症といった病的な行動と解釈された行動が,安寧,受容,感謝,空想といった肯定的な状態と解釈し直し得ることが示唆されました。調査協力者であった94歳の女性は,「これ(死)は時期がくれば仕方がないこと」「この生を受けるっていうことはね,すばらしい」と語り,自分の生命が有限であることを身を以て感じると同時に,いつか無くなる生命の不思議さに触れ,自分の生命を無に帰す死を含めた生そのものを肯定しているご様子でした。

3. 展望

老年的超越に関する知見は十分には蓄積されていません。高齢期に老年的超越が発達するという仮説は必ずしも支持されておらず,超高齢期には低下あるいは停滞するという結果も報告されています。また,心理学を専門とする研究者からは,老年的超越がSpirituality,心的外傷後成長(post-traumatic growth),有益性発見(benefit-finding)といった既存の概念とどのように関連するか,質問を受けることがありますが,それらの研究テーマの専門家との議論が必要だと感じています。現在は,老年的超越の年齢差および加齢変化を明らかにするために縦断研究を継続するとともに,老年的超越の概念を精緻化するために100歳以上の方々の語りの分析を行っています。今後,それらの研究の成果を報告するように努めてまいります。

4. おわりに

組織的な共同研究に参画する良い点は,大規模で長期間の研究を実施することができること,他の学問領域の変数を取り入れた新しい研究テーマに取り組めること,そして,相互にサポートし,時に失敗をカバーしてくれる共同研究者がいてくれることです。とりわけ,共同研究者の存在は大きく,失敗を重ねても仕事を任せてくれるのは有り難く,申し訳ないとしか言い表せません。
SONICは,2010年から始まり,5年目を終えようとしています。縦断研究には多くの研究者の協力を必要とします。SONICの目的に賛同する若手研究者の方々に参画いただけることを,心よりお待ちしております。経験と業績を積む良い機会になることと思います。
お読みいただいた方で,今後お会いすることができましたら,お話をできたら幸いです。最後に,貴重な機会を与えていただいた広報委員の先生方にお礼申し上げます。

5. 参考文献

老年的超越に関する共同研究の成果は下記の通りです。

Gondo, Y., Nakagawa, T., & Masui, Y. (2013). A new concept of successful aging in the oldest old: Development of Gerotranscendence and its influence on the psychological well-being. In J. M. Robine, C. Jagger, & E. M. Crimmins (Eds.) Annual Review of Gerontology and Geriatrics (pp. 109-132). New York: Springer Publishing Company.

増井幸恵・権藤恭之・河合千恵子・呉田陽一・高山 緑・中川 威・高橋龍太郎・ 藺牟田洋美 (2010). 心理的well-beingが高い虚弱超高齢者における老年的超越の特徴-新しく開発した日本版老年的超越質問紙を用いて- 老年社会科学, 32, 33-47.

増井幸恵・中川 威・権藤恭之・小川まどか・石岡良子・立平起子・池邉一典・神出 計・新井康通・高橋龍太郎 (2013). 日本版老年的超越質問紙改訂版の妥当性および信頼性の検討 老年社会科学, 35, 49-59.

中川 威・増井幸恵・呉田陽一・高山 緑・高橋龍太郎・権藤恭之 (2011). 超高齢者の語りにみる生(life)の意味 老年社会科学, 32, 422-433.