研究を始めたきっかけ
私が現在の研究テーマに関心を抱くようになったのは,「東日本大震災」が関係しています。震災は多くの傷を残すと同時に,人と人との関わり合いの中で考察すべき視点を提供してくれました。
そのひとつが「自粛ムード」と呼ばれる,娯楽などは慎むべきだという社会的風潮です。それを受け,当時,多くの人々が歓送迎会や花見などの種々のイベントを中止や延期にするという判断を下しました。そうした中止・延期は,被災者との連帯を示すための行動として当然だとみなされる一方で,過剰な反応ではないかとの指摘も少なくありませんでした。実際のところ,多くの人々が自粛ムードを“行き過ぎている”と評価していたことが報告されています。すなわち,自粛ムードとは,「被災者に対する自発的な配慮」というよりむしろ,「自粛をしないことで他者から非難されるのを恐れた“萎縮”」にすぎない,という側面があったと考えられます。
人々がお互いの見解を正確に共有できていないがために,望んでいたはずの行動が抑制され,ときには正反対の行動へと駆り立てられることさえあるとすれば,それは非合理的なことだと感じます。このような経験から,マイクロな個人の信念や行動の相互作用の結果として,マクロな社会現象が生み出されるプロセスに関心を抱くようになりました。
現在取り組んでいる研究の内容
私は「多元的無知(pluralistic ignorance)」という社会心理学的現象を研究対象としています。多元的無知とは,「集団の多くの成員が,自分自身は集団規範を受け入れていないにもかかわらず,他の成員のほとんどがその規範を受け入れていると誤って思い込んでいる状況」と定義されています。震災時の自粛ムードにも,「ひとりひとりは行き過ぎた反応だと感じつつも,他の人々はそう考えていないと思い込んでしまっている」という多元的無知が関与していたのかもしれません。
現在では,「男性の育児休業の低迷」を中心的な題材に据え,多元的無知のメカニズムを集団力学の観点から検討しています。これまで,「多くの男性は育児休業を好ましく評価しているものの,他者はそうではないのだろうと思い込むことで,取得を抑制している」ことを明らかにしました。他者信念の誤った思い込みが個人の行動に影響を及ぼすとき,「他者からの否定的評価に対する感受性」や「賞賛獲得欲求・拒否回避欲求」などの個人差変数も深く関与すると考えられるため,パーソナリティなどの観点からの検討も重要だと考えています。
今後の展望
これまでの研究の多くは,多元的無知が関与しているトピックの列挙に終始し,メカニズムについては十分に検討されてきませんでした。個人内の認知プロセスについての検討は散見されるものの,多元的無知に陥った集団内の人々の集団過程については,まだまだ検討の余地が多く残されているといえます。
これからも,多元的無知の予測と制御が可能になるよう,精緻なメカニズムの解明に向けて努力したいと思います。それが可能になれば,学術的な意義があるだけでなく,現実の社会問題を解決するための糸口を提供できるかもしれません。得られた研究成果を現場に還元させられるような実践的意義の高い研究を目指しつつ,これからも研究に取り組んでいきたいと思います。
最後に
この度は,このような貴重なご機会をいただき,大変光栄に思います。パーソナリティ心理学会の関係者の皆様に,心よりお礼申し上げます。