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情動学シリーズ4 情動と意思決定―感情と理性の統合―

(渡邊正孝・船橋新太郎(編),2015,朝倉書店)

目次

1.無意識的な意思決定(渡邊正孝)
2.依存症と意思決定―とらわれた意志―(廣中直行)
3.情動とセルフ・コントロール(田中沙織)
4.両刃なる情動―合理性と非合理性のあわいに在るもの―(遠藤利彦)
5.集団行動と情動(村田藍子・亀田達也)
6.意思決定に及ぼす情動の影響―前頭連合野眼窩部の機能を中心に―(船橋新太郎)

 

 多くの人は,自分がとった行動や下した判断は紛れもなく「自らの意思」によるものと信じている。人格が隅々まで統制され,自己制御が可能であるという考え方は,近代の人間観の中核であった(下條, 2008:サブリミナル・インパクト)。しかし,近年の心理学的研究の多くは,その前提を覆す結果を提出している。本書は,私たちの意思決定が全て意識的になされるのではなく,情動や動機づけ状態を反映して,無意識のうちにものごとを決めてしまう可能性があることを,実証研究の紹介を多く交えて,「情動と意思決定」をキーワードとして解説している。
 第1章では,伝統的な「吊り橋実験」などが挙げられ,私たちの日常的な意思決定が感情状態に左右されることを示している。また,意思決定において「適解」すなわち(ほぼ)適切な判断ができない人たちに多く共通して前頭連合野の「腹内側部」と呼ばれる箇所に損傷があることを述べ,この部位は外部からの刺激と情動や動機づけ情報を結びつける重要な箇所であることから,情動が意思決定に果たす役割が大きいことを示している。また,特に意識せずに行っている「潜在的な」意思決定についても,筆者らの実証研究とともに紹介されている。特に意図していなくても,気分がいいときは余計なものまで買ってしまうとか,気分が悪いと仕事が遅くなりがちというように,何となく意思決定を行っているときがある。ここでは主にサルの実験を挙げ,報酬が期待できないときには課題を継続しなかったり,ゆっくり反応したりするといった状態になること,その「潜在的な」意思決定には前頭連合野にあるニューロン活動が関連していることが示されている。
 第2章では,依存症と意思決定の関係が解説されている。ここでは,依存症の特徴,依存症を引き起こす薬物の特徴が整理されたのち,ラットによる薬物の自己投与実験を例に,依存症には脳内の「側坐核」におけるドーパミンの量が関連していることが述べられている。そして,依存症に脆弱な人々の特徴として,「刺激希求性(新しいことやスリルのあることを求める)」,「衝動性(待たない,待てない)」,「リスクの過小評価(ハイリスク・ハイリターンを求める)」ことが挙げられている。また,個人の特性ではなく,「社会規範」にも言及されている。章の後半では,依存症の進行に伴う変化や,その脱却と意志について述べられている。ここでは,アロスタシスのモデルや,パブロフの犬の実験でも有名な「条件づけ」の例を挙げて,依存症が進むプロセスが説明されている。最後に,依存からの回復には,依存者が自らの状態や欲求に「気づくこと(洞察)」が重要とされていることや,その手法として有効とされる「動機づけ面接」や「認知行動療法」の具体的な内容が紹介されている。
 第3章では,時間割引,すなわち時間が経つほどそのものの価値が減じられることについて,脳機構からの説明がなされている。伝統的な「マシュマロテスト」の結果が示すように,今すぐの報酬を我慢して,後で多くの報酬をもらうことを選択できる方が,将来の適応がよいとされているが,こうした時間割引の現象にはセロトニンが関わること(セロトニン経路が破壊されたり,側坐核のコアを破壊されたりしたラットは,「今すぐ」の報酬を求めるようになる)が紹介された後,セロトニンの機能について考えられる2つの仮説について,筆者がfMRIを用いて行った実証実験の内容と結果が述べられている。続いて,過去の経験をもとに次の選択を行う必要がある課題を用いた実験において,セロトニンが不足していると,過去の経験をうまく振り返って利用できなかったことが示されている。最後に,将来の損失が利益の場合ほど割り引かれない「符号効果」について,それまで明らかにされてこなかった神経科学的なメカニズムの検討を,やはりfMRIを用いて行った結果が報告されている。
 第4章では,合理性と非合理性との間にある,情動の「両刃的な」本性について考察が試みられている。ここでは,情動観の変遷が「正史」すなわち多数派によって正統とされた歴史と,「稗史」すなわち少数派が語り継いできた裏の歴史が紹介されるとともに,現代において情動は理性や認知と対立するものではないことが述べられている。続いて,進化生物学者の見解や哲学者のカントやヒューム,スミスの視点が紹介されている。中盤では社会的比較にともなって生じるネガティブな情動(妬み,シャーデンフロイデなど)やポジティブな情動(共感,同情など)について述べられているほか,後半では情動における合理性と非合理性の表裏一体性として,五つの視座から考察が行われており,哲学的な色合いを持ちつつも,実証的な知見の紹介もふんだんに行いながら,情動の本性に迫っている。
 第5章では,集団において,人々がどのような影響を与え合い,どのようなメカニズムで社会的影響を受けるのかを検討している。ここでは,社会的ネットワークを介して,他者と互いに影響を与え合うことで,結果として犯罪行動にかかわる意思決定や肥満現象(食事の量や質),そして人々の主観的な幸福度という情動状態まで,当該の集団内で近づいていくことが示されている。また,他者の情報を利用することがポジティブな結果を生む場合と,流されてしまう(他者の選択に影響を受けすぎてしまう)結果を生む場合とがあることを,ミツバチの集団における行動パターンと人間の集団における行動パターンを例に挙げて説明している。章の後半では,伝統的なアッシュの同調実験から出発し,情動が伝染するプロセスや,多数派同調をさせる神経メカニズム,そして規範の影響についての研究がレビューされている。
 第6章では,特に前頭連合野眼窩部の働きを中心に,情動との関連が述べられている。前頭連合野眼窩部に損傷を負った者は,そのタイミングが幼少期でも大人になってからでも,他人とうまくコミュニケーションがとれなかったり,仕事が長続きしなかったりするといった問題が生じることが紹介されている。また,前頭連合野眼窩部を損傷した者に対するアイオワ・ギャンブル課題やケンブリッジ・ギャンブル課題を用いた実験が紹介されており,それらの実験結果から,前頭連合野眼窩部を損傷すると,ダマシオの言うソマティック・マーカーがうまく機能せず,一般的な知識や知的能力などには問題がない一方で,社会生活場面における様々な問題行動,特に意思決定や判断に困難を示すことが報告されている。これらの知見は,私たちの意思決定が感情によって影響されるときに,前頭連合野眼窩部が重要な役割を果たすことを示すものである。
 上記のように,本書は,私たちの意思決定がいかに情動の影響を受けているかを明らかにするものである。哲学的な内容であったり,fMRIを用いた高度な実験ベースの内容であったりと,章によって取り上げられる内容には幅があるが,それは一貫性の欠如を示すものではなく,「情動と意思決定」というキーワードを軸に一つの大きな絵を描いた結果であるといえる。随所に掲載されている12のコラムは,各章で紹介しきれなかった実証研究の紹介や,各章で扱った概念の詳説にあてられており,理解を深めてくれるものである。幅広い内容が扱われているため,読者が何に関心を持っているかによっては,読み解くのに時間がかかる章もあると思われるが,いずれも読み応えのある良著と言えるだろう。(文責:藤井勉)

・本書評の執筆にあたり,(株)朝倉書店のご協力を賜りました。ここに厚く御礼申し上げます。

(2016/9/1)