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教育の起源を探る―進化と文化の視点から―

安藤寿康(編著),2023年,ちとせプレス

目次


第1章 「教育は進化か文化か」を問う際の基本認識
    ――ヒトにおける能力の「転用」の歴史を見据えて
第2章 ニッチ構築としての教育
第3章 狩猟採集民は教えているか
    ――「教示の不在」という観点から
第4章 「教える」と「教わる」のあいだ
    ――その進化的/発達的起源
第5章 教育の進化
    ――ナチュラル・ペタゴジー理論の検討を中心に
第6章 教育はヒトの生物学的生存戦略である
第7章 教育と累積的文化進化
    ――計算論モデルによるマイクロ-マクロ・ダイナミクスの検討
第8章 脳と心の発達と教育
    ――母子関係から見るヒトの教育の本質とその生物学的基盤
第9章 教育・学習の基盤としての進化と文化
第10章 教育の進化を考える
おわりに

 

 「教育は向社会的行動(あるいは利他行動)である」。これは本書を読んで最も印象に残った文言だ。何を今更と既知の各位には評者の不勉強を晒すばかりだが,教育の「教える-教わる」関係の内,特に教える側面を向社会的行動(あるいは利他行動)とみなすことができるために,その進化的側面や文化的側面への言及がより一層可能となり,本書でもヒトやその他の動物において行われる教育活動が鮮やかに整理されている。教育を行う動物はヒトの他にミーアキャット,ムネボソアリ,シロクロヤブチメドリ(,ネコ)が挙げられており,いずれもヒトに連なる霊長類の系列から遠いことはとても興味深い。その中でも,ヒトだけが補食行動以外の行動を教育するというのである。それはなぜなのか,本書の意義はこの疑問について論じる点にあると考える。

 本書は,「教育」を進化生物学と文化人類学の視点から捉えるよう試みたもので,関連領域の第一線を走る研究者の面々が,これまでに蓄積された研究知見を根拠に持論を展開している。編著者である安藤寿康先生は行動遺伝学がご専門であり,ヒトの様々な能力や特性についてその遺伝的影響を示した双生児研究は記憶に新しい。安藤先生は,かねてよりヒトの教育や学習の進化的観点に食指が動いていたようで,2011年には原初的な社会集団(狩猟採集民の集団)での教育の在り方を観察すべく,自らカメルーン共和国へ赴いている。渡航の理屈としては,元来人類は歴史の長きに渡って狩猟採集生活を行っていたため,現代においても狩猟採集を続けている人々の生活を観察することで,農耕の開始や西欧化による影響の少ない人類のルーツに迫ることができるというわけだ。これは文化人類学の研究アプローチである。厳密には,現代に見られる狩猟採集の生活は,かつて人類が行っていたであろう純粋な狩猟採集生活とは異なるが,それでもその名残を多く残している(本書p.28)。安藤先生のこれまでの思索に加えて,現地でのフィールド観察による経験が,少なからず本書の執筆に繋がっていると推察される。

 本書は全10章構成で,まるで肉厚なシンポジウムを聴講しているかのように内容が進んでいく。第1章(亀井伸孝先生)では,教育を進化と文化の両面から検討する前提として,①我々の持つ社会の認識はヒト社会全般の典型ではないこと,②進化か文化かという二項対立にとらわれないこと,③目的論的で遡及的な議論は避けること,が挙げられ,本書の航路をしっかりと示している。第2章(小田亮先生)ではニッチ構築,第3章(園田浩司先生)では教示的無関心,第4章(橋彌和秀先生)では認識論的均衡化仮説,第5章(中尾央先生)では明示的シグナル,第6章(安藤寿康先生)ではホモ・エデュカンス仮説,第7章(中田星矢先生・竹澤正哲先生)では累積的文化進化,第8章(明和政子先生)ではメンタライジングや「教える-教わる」に係る脳機能,を主として,「教育」がどのように発生し,進化し,文化の中に組み込まれてきたかがまとめられている。その後,第9章(高田明先生)と第10章(長谷川眞理子先生)において,指定討論のような形で全体の総括が行われている。

 各章の詳細を述べると冗長な文章となってしまうため割愛する。内容の要約としては,本書の「序」および「おわりに」で実に分かりやすく述べられている(「序」は,ちとせプレスHP上の本書内容紹介ページにて読むことができる)。当該箇所を読んでもらえれば,本書の目的や研究領域における位置づけ,検討内容や課題について,より明瞭に理解できることだろう。ここでは,進化的に獲得されてきた側面が強いにせよ,文化的に習得されてきた側面が強いにせよ,「教える-教わる」ことによって成り立つ教育は,ヒト固有の特徴であることが,本書を通して述べられている点に触れておきたい。この点は,「ヒトは教育的動物である」という仮説(ホモ・エデュカンス仮説)にもつながる。

 本書は,「教育という営みを,進化と文化の両側面から検討するという…野心的な試み(本書p.1)」を行っているが故に,内容の理解には一定量の糖分摂取が必要と思われる。それぞれの執筆者が引用している研究もフィールド観察や実験室実験,数理シミュレーションなど幅広い。しかし,いずれの主張も整然とまとめられており,分かりやすい。各章で共通する事項もままあり,内容の把握や深化に繋がるだろう。また,本書は,特定の答えに向かっていくといった構成ではなく,教育がどのような進化的起源をもつか,あるいはどのように文化の中で習得されてきたかについての話題提供を行う形になっている。つまり,本書は「教育」の進化や文化の側面に関する議論に触れた上で,読者自身はどう考えるかと問いかけてくる。そのテーマに違わず,読後も尾を引いて思考や学習の機会(本書における「個体学習」の機会)を提供してくれる良書である。

 ここで,本書ではおそらく紙幅の関係から取り上げられていないが,評者が重要と考える点を1つ挙げたい。第6章で述べられているように,生物学的な生存戦略として教育が存在するならば,それは過去において適応的だったために結果として現代に残っている戦略といえるはずである。この時,過去に生存戦略として有効に機能していたとしても,それがそのまま現代社会でも有効に機能するかどうかは,別に検討する必要のある課題と考える。現代社会には原初的な集団である狩猟採集民の社会やWEIRD(Western, Educated, Industrialized, Rich, Democraticの頭文字を取ったもの)の社会など多様なバリエーションが存在する。また社会自体の変化も大きい。教育の生存戦略性は普遍的なものなのか,あるいは特定の社会に固有的なものなのか,といった点についての考察を進めることは有益と考える。

 「学習」を中心的主題の1つに据えてきた心理学にとって,教育は欠かすことのできないテーマと言える。また,仮に「教える-教わる」ことが人の特性として備わっているのだとしたら,ヒトのパーソナリティを研究するにおいても教育の存在を無視することはできないだろう。さらに,ヒトのパーソナリティは,過去の教育の結果として成り立っているとも言える。一見,パーソナリティ心理学からは遠そうな本書を読み進めることで,実は根の部分が強く関係している可能性に気づく。こうした気づきを提供してくれるという意味においても,本書は有意義なものである。

 最後に,本書の内容とは直接関係ないが個人的なお気に入り箇所を挙げて終わりにしたい。正直に言うと,本書についての第一印象はその物理的な触り心地の良さであった。表紙カバーと帯に格子状のエンボス加工が施してあり,滑りにくく滑りやすい。なんとも指に吸い付くような感触である。ぜひ本書を手に取り評者の感動を共有いただけると嬉しい。一度手に取ればその触り心地から本書を手離すことはできず,その内容の面白さから本書と共に朝を迎えること請け合いである。

謝辞
図書紹介の執筆にあたり,株式会社ちとせプレスのご協力を賜りました。ここに厚く御礼申し上げます。

(文責:山本琢俟)

(2023/6/1)